「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

幕が上がったら 2―高校演劇と神経発達症(発達障害)の私

バレンタインを前に「運命の人と幸せになる」をテーマにWeb女性誌「Trinity」に3本の記事をあげる予定です。
1本目はこちら♪

前世で縁のあった人は運命の人?―運命の人に出会うために①

幸せになりましょうよ。
せっかくこの世に生まれたのだから。
入口が恋愛でも、仕事でも、病気でも、人間関係でも、
目指す場所は「本当の自分」なのですよ。

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*************
「幕が上がったら 1―発達障害・HSPその他でひどい状態だった高校時代 」の続きです。

高校演劇と私

はじめは美人な先輩に憧れて放送部に入ったのに、

受験で知り合った友人に誘われて演劇部に遊びに行ったら、
そこの1年生メンバーと気が合い、
その日のうちにメンバーの一人の家に列車に乗って遊びに行くという、
私にしてみればミラクルなことがあって、
今更演劇部員じゃないとは言えなくて入部したのでした。

当時のメンバーはバカばっかりで(ゴメン!)
市とはいえ、オホーツク海沿いの小さな街中で突然歌って踊るとかそういうことをやっていました(笑)
普通に、道を歩く一環として(^^;)

ミュージカルの振付は私がやることが多かったかな。
うん、ダンス、好きでした。

コスプレとかは当時はなかったけれど、
そういうものもない時代に、街中で色々やっちゃうという、
(ネコ耳つけて歩くとか、しなかったけ?)
今から思えば大変恥ずかしいことをやっていたので、
今は目立つことをしようとは思わないのです。
もう、おなか一杯という感じ。
一生分やったから(笑)

顧問の先生は北海道で5本の指に入るという演劇で有名な先生で、
私たちは名前の一部をとって「とうちゃん」と呼んでいました。
どこへ行くにも黒の長靴を履いているという、
かなり変わった名物先生でした。

演劇名門校だった気がする?多分。

先生や先輩たちも含め、とても仲が良くて。
OB、OGも頻繁に来て指導してくれていました。


最初の舞台は1年生6月の大きな他校との合同公演。
ミュージカルで、出演者が多いから私も役をもらえて、
歌なんかもたくさん歌って。

上演が終わって幕が下りた時、演劇の魔法にからめとられました。

その感覚は、体験した人じゃないとわからないと思います。
演劇にすぽっとはまってしまう感覚。

一つの劇を、苦楽を共にした仲間と、上演しきった時の感動。
幕が下りた時に涙が飛び出す、あの感じ。

好き、どころじゃなく、虜になったという言葉がぴったり。

映画「幕が上がる」にはリアルの高校演劇大会シーンが盛り込まれていて、
そこは明らかに映画のストーリーとは空気感が違うのです。
そのシーンが出てきただけで涙ぐんでしまいました。

リハーサルや、セット搬入や、搬出口での挨拶など、
今も書いていて理屈じゃなく、涙が出そうになります。

なぜ?と、聞かれても、答えられない。
高校演劇って、そういう特別な空気感を持ったものなのです。

数年前に母校の演劇部が全国大会に行ったとき、
カンパを送ったら大会のDVDが送られてきて、
なかなか見る勇気がなくて、
半年後くらいに見たら最初から最後まで号泣(笑)

演劇は人の心を表現するから、
人間関係がとても濃密なのです。
お互いの心をさらけ出すというか、
こちらから無理やり手を伸ばしてえぐりとる感じで相手を知ろうとする。
心に土足で入り込むどころじゃない感じ。

だから、仲が良くもあり、悪くもあり。
友達、というより、仲間という感じ。

普段はほとんど心を見せない私が、
自分をむき出しにしていました。

そう、アスペでADDで、HSPで、癇癪もちで、ヒステリーで、
世間知らずで、わがままで、周囲のことが見れないやつで。
私の「悪い面」を全部さらけ出していた感じ。

多分、トラブルメーカーのうちの一人だったと思います。

うわっ!自分でも書いていて最悪だと思います。

それでも付き合ってくれていた彼らに今でも本当に感謝しています。


私は役者バカタイプで、2年間で大小講演、大会合わせて9本の芝居に出ました。
審査員から名指しで褒められたこともあり、
良くも悪くも、舞台で目立つタイプだったような気がします。

舞台の上から見るあの客席の感じ。
全ての人の心の中が見透かせそうな感じ。
もっと心を揺さぶってやる!と、挑戦的になる自分の一部。

どんな瞬間よりも、舞台の上では自由になれました。
劇中の人物は神経発達症(発達障害)じゃないし、
その他の症状がある人でもないから。

ストーリーが決まっていて、
手探りで進んでいかなくていいし。
(劇を作ること自体は手探りで、それが楽しいのですが)

そして、そんな私の我儘を許してくれていたのが、当時の仲間だったと思います。
(いや、許したんじゃなく、あきらめていたのか?)

*~*~*~*~*~*~*
劇団を作る

そんな仲間を裏切って、私は2年間で演劇部を辞めました。
3年生の時に、自分で社会人を集めて劇団を作ったのです。

知り合いの知り合いの知り合いくらいの人、数十人に電話をかけて、
17歳の小娘が、大人の人たちに
「一緒に芝居をやってください!」とお願いして、
練習場所を探したり、いろいろ歩き回って。

当時も感謝していたけど、
それにこたえてくれた大人たちが偉かったんだなと、
大人になったときに、つくづく思いました。

1時間ほどの芝居を1本、3回公演でやったら、
「私はこれを一生やるほど好きではないな」と判って
それきり、大好きだった演劇から足を洗いました。


高校演劇を辞めた理由は色々あって、当時は
「山のあなたの空遠く、
幸い住むと人の言う―」
という詩にあるような気持ちでやめるのだと思っていました。

何もないのだとしても、それを自分の目で確かめたいのだ、と、
顧問の「とうちゃん」に言った覚えがあります。

当時はわかっていなかったけど、今から思えば、
単純に自分に嫌気がさして、
場所替えをしようとしたのではないかと、
この仕事をするものとして分析します。


場所を変えても、自分が変わらなければ、何も変わらないとわかっていなかったのですね。

上記の詩の人物も、きっと同じだったのでしょうね。


実際、劇団をやってよかったと思っています。

うん、やらないより、やったほうがいい。
何事もそうです。

そう言える大人になれたことが良かったと思っています。



その3年間の演劇にまつわる私の思い出は、
今の私を支えてくれています。

自分にはいざという時の行動力があると自分を信じられるし、
大きな舞台の上でも、
どんなに大勢の人の前でもそれを楽しめると思えます。

高校時代の私。
大変な状態だったのに、負けないでよく頑張りました。
頑張ってくれてありがとう。
つらいって、気が付いてあげられなくて、本当にごめん。

そして、何度も言うけど、
当時の私にかかわってくれた方たち、
演劇関係者はもちろん、
そうじゃない方も、本当にありがとう。


先週の記事を高校時代の友人たちに知らせたら、
迷惑だと思ったことなんてなかったよって言ってくれて、
涙が飛び出ました(笑)

**********
幕が上がったら

「幕が上がる」に、
上演中にいろいろトラブルが起こるというシーンがあって、
それを見て思ったのだけれど。

一度幕が上がったら、
セリフを忘れても、
小道具が足りなくても、
音響や照明にトラブルがあっても、
段取りが違っても、
セットが壊れても、
芝居を途中で投げ出すわけにはいかない。


そういう時に、パニくる人もいれば、
動きを止めてしまう人もいれば、
泣いちゃう人や、
頑張って余計なことをする人や、
人それぞれだと思うけど。

私はそういうのを面白がるタイプだったと思う(笑)
何があっても、芝居はやめない。
アドリブしまくりで、慌てる仲間の反応を楽しんで(笑)

何故なら、裏方のスタッフも含めて、
ずっと一緒に練習してきた仲間たちを信じていたから。


物語のラストまで、私たちは上演を続けるしかないんだよ。

途中でとまどってもいいよ。
泣いてもいいよ。
でも、やめないで。

下手でもいい。
演じるのがいい役でも、
悪い役でも関係ない。

ただ、舞台の上では、
ふざけて真剣にやらない人はカッコ悪いよ。


舞台を投げ出さないで。

物語の最後を体験しよう。

幕が下りた時の感動は、何物にも代えがたいから。

だから、幕が上がったら、どうか物語をやめないで。
この舞台にかかわっている、仲間を信じて。
緞帳が下りるその時まで。


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幕が上がったら 1―発達障害・HSPその他でひどい状態だった高校時代

Web女性誌Trinityに書いた最新のわたもりの記事は

「夢のメッセージを受け取ろう―夢はスピリチュアルなメッセージ②」

私の夢を解析して記事にしました。
まだ夢解析未体験の方に、夢解析がどんなものかを知っていただきたいと思ったのです。
初夢を見られなかった方でも大丈夫。
今年を夢で知る方法についてもお伝えしています。

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*********
「幕が上がる」

遅ればせながら昨年2015年に上映された「幕が上がる」という映画をDVDで見ました。

主演のももいろクローバーZの方たちって、
本当は地味で華もないのに、
努力とプロ根性であんなに一生懸命人気アイドルやっているんだなと改めて感心しました
最近はプロな方が少ないので本当にすごいと思います。

実は高校時代に演劇をやっていた私。
当時の知人たちがSNSに感想などを書いていたけど、
リアルタイムでは見られなかったのです。
心理的に。
(SNSの感想も読めなかった

私の心のとてもデリケートな部分に触れるので(笑)
とても人前では見られなさそうな気がしたのです。

神経発達症(発達障害)で、HSPで、愛着障害で、
小中学校でいじめを体験して、という、
大変こじれた状態の私が、
多分、一番ひどかった時代。
悪い部分だけが出ちゃっていた時代。

とても迷惑をかけたと思います。
(黒歴史ですね)

当時の一緒にいてくれた友達には本当にとても感謝しています。
沢山迷惑をかけてごめんね。
でも、自分でもどうしようもなかったの。
いっぱいゴメンね。
本当に本当にありがとう。

「幕が上がる」を見ていたら、その当時のことを思い出して、
学生時代の私のことを書いてみようと思いました。

*~~*~~*~~*~~*
高校時代の私

中学校までは同級生は私を入れて8人という僻地校。
そこから網走市にある進学校へ進み、
大勢の中に迷い込んだようだった当時の私。

私の持つ特性について、
当時はまだ一般的に知られていなかった頃なので、
当然、自分がアスペルガーだとも、難読症だとも、ADDだとも、
HSPだとも、アダルトチルドレンだとも、
その他諸々だとも知りませんでした。

教室にいるのが辛かった。

一斉に押し寄せる音、におい、感情などに圧倒されて、
頻繁にかい離(自分から意識が離れてしまう状態)していました。
(当然、当時は自覚がなかった)

カクテルパーティ効果と言う、
携帯でいえばノイズキャンセラーが付いていないという
障害のあることも当時はわかりませんでした。
どういう状態かというと、すべての音が同レベルで聞こえるので、
音の洪水の中に常にいる感じ。
目の前の人が話している言葉を聞き取れないのです。

あまりに辛いから、
意識遮断と言って気を失うように眠ってしまうことがほとんどでした。
それか、別のもの(本や空想など)に意識を向けて、
そこにいるけど、別世界に行っていました。

教室でお弁当を食べるのが辛くて、
その時間だけでもどこかへ脱出しようとしたら、
先生に教室で食べなさいと言われて、
もう、何を食べているかわからない状態。

自分が何をどんな風に辛いのか、
自分でもさっぱり判っていませんでした。

クラスメイトと仲良くしろと言われても、
何をどうしたら良いのかわからない。

「普通に」ができない。
気を許せる友達はともかく、全員と明るく仲良くなんて無理。
学校祭とかは苦痛でしかなかった。

今から思えば「ああ、あれって、そういうことだったんだ」と判るのですけどね。

そういうのを小さな学校から大きな学校へ行き、
いじめられた経験があるから感じるんだ、と、思っていました。
HP「私の中の森」→「いじめ①~③」参照)


耳から聞いて理解するのが苦手な私は授業がほとんどわからない(神経発達症)
教科書も読むのに時間がかかる(神経発達症&HSP)
先生の連絡事項も聞き取れない(神経発達症)
周囲から状況を知ることができない(神経発達症)
身だしなみに気を使えない(神経発達症)
忘れ物をしないように気を付けても忘れものばかり(神経発達症)
その他書ききれないくらいの不自由さ。

授業中は眠るか別なことをしていないと気が狂いそうになりました。

当時の友人たちには
「あんたの頭を割って、中を見てみたい」とよく言われました。

それくらい、変わっていたんだと思います。

セルフカウンセリングで書いた文章群「私の中の森」に、これに関した文章があります。
良かったらお読みください。


今ご相談を受けていて、同じような体験をしているお子さんがいらして、
親御さんも悩んでいるけど、
親御さんは感覚としてはわからないから親子で迷子になってしまっている方を見ると、
当時の自分を思い出します。

だから今、この仕事を通して、
不登校や、同じような辛い感覚を感じている方の
理解者に少しでもなれたらと思っています。

また、クライアント様のうちの何人かが、
ご自分の体験を活かした子どもさんへの支援をお仕事にされているのを
とても誇らしく思っています。


私がそんな状態でも不登校にならずに済んだのは、

自分が全く見えていなかったので、
辛いということすらわからなかったのと、

不登校が当時はまれなものだったということと、

それと、もう一つ、
演劇部があったからです。


演劇部では、なおさらひどかった(苦笑)

でも、最近、高校演劇での体験がとても重要だったなと思うのです。
生きるって、こういうことだなって。

次回は神経発達症その他と、演劇にまつわることを書こうと思います。

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神経発達症(発達障害)とバカ親論争②

「神経発達症(発達障害)とバカ親論争①」の続きです。

**********

その上で言いたいのは、
もし、子どもさんをどうにかしたいと思ったら、
やっぱり、親が本気になってなんとかしなければいけないと言う事。


これは未成年の場合です。
成人した子どもさんの場合は、状況によります。

未成年は自分ではどこかへ相談に行くことはできないし、
お金も自由に使えませんから、
親御さんが頑張ってくれないと難しいのです。

自分が親として困っていることに一杯一杯になってしまって、
子どものことで悩んでいるようで、
実は自分の事ばかりになってしまっている方が多いです。

「どうしてうちの子だけ」
「どうして私だけ」
「こんな大変な子どもを抱えた自分が可哀そう」
と、意識上で言語化していないにしても、
心のどこかで思ってしまっています。

私は神経発達症については西洋医学では治せないとしていても、
私自身がホメオパシーで改善し、
楽に生きられるようになった事例を示し、
その方法についてブログにもHPにものせているし、
ご相談の中でもお伝えしています。
「発達障害の治療」参照

ホメオパシーと言う未知の医療方法が信用ならないのだとしても、
発達障害について学ぶとか、
問題の対処法について学ぶとか、
方法はいくらでもあります。

その他の問題に関しても、ホリスティックな視点から色々な事例を示しています。

でも、少しそれらしい行動をとったと言う事に親御さんが満足してしまって、
本当に子どもさんが問題を解決できるまでには至らないのです。

ここまでお読みいただければわかると思いますが、
問題を抱えるお子さんを持つ親御さんは、
ご自身も何らかの問題を抱える方なのです。


だから、本気で問題を解決したかったら、
親子ともども問題を解決しなければいけません。


子どもだけの問題じゃないのです。

これは成人した子どもさんをなんとかしたい方にも言えることです。
大人になった子どもさんはご自分でどうにかしようと思わない限りどうにもなりません。
親御さんが口を出すことが、かえって解決を遅らせる場合も多いです。

子どもさんが成人している場合、
出来るのは親御さんが一人の人として
ご自分でも気が付いていない自分の問題をなんとかする事だけなのです。
そういう生きざまを子どもさんに見せる事しか出来ないのです。

大抵の方が、自分の抱える問題を見たくないから、
子どもさんの問題だけにフォーカスして、
ご自分から目をそらしています。


かつての私がそうだったように。

************
バカ親である私の事

行動を起こさないのはまだいい方です。
逆に子どもを「それはダメ!」「ちゃんとして!」と追い込んでしまう親御さんもいます。

実は私はそういう親でした。
自分が神経発達症などの問題を抱えているとわからず、
自分がダメな人間だから、子ども達はそうならないようにと、
良かれと思ってやっていたことが全て裏目に出てしまいました。

とても後悔しています。
本当に子ども達に申し訳ないと思います。

もっと自分らしく、ありのままを認めて、
問題があったら、その都度、目の前のものを個別に解決していけば良い。

そう言ったことがまるでわかっていませんでした。

ある時、やっと目が覚めて自分が間違っていたことに気が付きました。
「子どもの為」とやっていたことは全て逆効果でした。

本当は子どもの為ではなく、
自分が人から非難されないように必死になっていただけだったのです。

ダメ親じゃないと言われないように、
良い親だと言われるように、
行動で必死に言い訳をしていたにすぎません。

私は自分が何者かわからず、どう生きたらいいのかが判らないから、
世間で良しとされている行動に必死に合わせていました。

でも、自分らしくないから、
全くうまくいきませんでした。

必要なのは、自分がどういう人間かを知り、
自分らしい生き方をしていくこと。
自分がそうできるから、子どもも含め、
他の人の生き方を尊重できるのです。


だから、世間一般的なルールや枠組みに従わせることは、
全くの間違いだったのです。

それでも子ども達は優しく思いやりのある人に育ってくれました。
本当にこんな私の元に生まれてきてくれたことに感謝しています。

今は人として、
一般的な人とは違ったとしても、
自分らしく生きて行くことが、
母として子ども達に出来る精一杯のことだと思っています。

親の生き方そのもので、
ありのままの子どもたちを肯定するのです。


(だからと言って好き勝手するという意味ではありません)

私がそう思えるようになったのは、
自分と子供たちが抱える問題を何とかしたくて
必死に調べ、学び、向かい合って来たからです。

子どもが抱える問題と真剣に向かい合う事は、
親自身が自分と向かい合う事になるのです。


何故なら、その子どもを産み育てたのは親だからです。

「神経発達症(発達障害)とバカ親論争①」に
「親御さんご自身がどちらへ向かったらいいのかわからないのに、
子どもさんを健康で幸せな方へ向かわせるのは難しいからです」
と、書いたように、
親御さん自身が自分と向かい合い人として成長することで、
どうやったら問題を解決できるのかが判るようになるからです。


だから、親が本気にならないと、と、言うのです。

*~*~*~*~*~*~*

どうしても親御さんだけでどうにもならなかったら、
一時的に逃げても良いし、助けを求めても良いのです。

でも、子どもさんの問題と向かい合わないことは、
親御さんにとって、罪悪感を抱えたまま生きて行くことになると私は思います。

その上で、ご自分の人生の選択をなさってください。
「心を蝕むもの―無意識の罪悪感」参照


今、ご自分をダメな親だと思っている方がいたら、
私にはそのつらさが判ります。

だって、好きでダメな親になった訳じゃありませんよね。
なんとか良い親になりたいとも、
子ども達に幸せになって欲しいとも思っていますよね。

私はダメな親御さんや、
親じゃなくても自分をダメだと思っている方を
責めることはできません。
私自身がダメな人だからです。

でも、今までがダメだったからと言って、
これからもずっとダメでいる必要はありません。

これからの行動を選んで行けばいいのです。

自分をダメだと思う事に、
あるいは、ダメじゃないと言い訳することに
もうエネルギーを使うのをやめましょう。


一人の人として、成長して行きましょう。
いくつになっても遅すぎることはありません。

大丈夫。
自分のダメなところを認めることが、
今いる場所から健康で幸せな方へ向かう第一歩となります。




今すぐは無理でも、
必要な時にこの言葉があなたの中に降りて行くように、
この文章を書いています。

そして、
親御さんも子どもさんも癒されていくことが、
これからの時代を生きる人々が、
そしてこの世界全てが
健康で幸せになっていくために必要だと私は思っています。



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お知らせ

自分と向かい合って、変えて行くためには、まずは自分を知る事から。
私はそのための分析ツールの一つとしてアロマリーディングをしています。
12/15掲載のWeb雑誌「Trinity」の私の記事は
そのアロマリーディングについて書きました。
是非お読みになって記事ページSNSバナーへのいいね!応援お願いいたします。
「アロマリーディングを知っていますか?―ホリスティック健康相談」
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神経発達症(発達障害)とバカ親論争①

最近は神経発達症(発達障害)はじめ、
何らかの問題がある子どもさんを抱える親御さんに対し、
「バカ親」(あるいはそれに近い言葉)と表現される方々がいらっしゃいます。

バカ親論争というものがあるのかわからないけど、
「バカ親」と親御さんを非難する人々と、
それに反論する親御さん側の方との
ブログやFBのやり取りを見ていて、
この表現がぴったりな気がして使わせていただきます。

私は自分を親としてはもちろん、
一人の人間としても全くのダメダメな人だと認めています。
本当に私はダメな親だと思います。
過去形でも、現在進行形でも。

でも、この記事は自分を擁護したくて書くのではありません。
この仕事をするものとして必要だと思うから書きます。
そうお断りしたうえで書かせていただきます。

まず、
双方にどんな事情があるかわからないとしても、
相手に対し「バカ親」と言う言葉を使う人間性についてどう思うかよく考えてほしいと思います。

事実や理屈以前の問題ではないでしょうか?

この記事ではこの「バカ親」について書くので、
記事中で何度も記述する事を心苦しく思います。
ごめんなさい。

**************
それは逆効果です

問題を抱える子どもさんを持つ親御さんに対し、
バカ親と表現し、攻撃することは、
子どもさんの問題の解決を遅らせるだけだと思います。


「事実を言っているだけで攻撃しているわけじゃない」
と、思うかもしれませんが、
発する側じゃなく、受け取る側がどう感じるかの問題です。


攻撃されれば、
誰だって身を守りたくなります。

それは生き物として自然な行為です。
例え「親」でも本能的にそうしてしまうものです。

心も含め身を守るために警戒心が生まれますから、
多少なりとも頭が混乱し、
どんなに良いことを言われても、
素直に受け取ることも出来なくなるかもしれません。

そうなったら、もう、双方で大事なことを忘れてしまっています。

大事なのは、
親が馬鹿かどうかじゃなくて、
子どもさんがどうやったら
健康で幸せに生きて行けるかどうかだと言う事を。


「親がバカだから子どもが可哀そうなことになっているんだ」と言うのが、
バカ親と言う言葉を使う理由のようですが、
本当に親がバカだから馬鹿だと言っているのだとしても、
やっぱり問題の解決にはなりません。

いつもそういう論争を目にするたび、
無駄なところでエネルギーを使っているなと思います。

「バカだと言われたくなかったら勉強して馬鹿じゃない行動をとれ」

うん、それは本当にそうだと思います。
そうなりたいと望んでいる親御さんも多いでしょう。

でも、その論理展開は、
「攻撃されたくなかったら攻撃されないようにしろ」
と、言う、まったく乱暴なものだと思います。

どんな状態にしろ、
他者の悪口を並べ立て、
攻撃する方がおかしいでしょう?


*:::*:::*:::*::::
子どもが幸せで健康になる為に

私は自分も、自分の子どもも含め、
自分でそう望む人には健康で幸せになって欲しいと思っています。
だから、このブログも書き続けています。

子どもが健康で幸せになる為には、
親御さんも健康で幸せである必要があります。


親御さんご自身がどちらへ向かったらいいのかわからないのに、
子どもさんを健康で幸せな方へ向かわせるのは難しいからです。


子どもさんの問題を解決したかったら、
親御さんが抱えている問題を解決する必要があると私は思います。

それは「ダメなところを指摘して治させることだ」と、
この仕事をしている人でも思っている方は多いようですが、
それは逆効果です。

悪い所をあげつらい、変えさせるより、
いい所を伸ばして行く方が効率が良いのです。

以前もこの表現を使いましたが、
オセロゲームで真っ黒の状態から、
白を少しずつ増やしていくようなものです。
白が増えれば、少しずつ黒も減っていきます。

自分に自信がつくからです。

自分はダメじゃない。
大丈夫だ。
そう思える心が生きる力になり、
問題を解決して行くエネルギーになります。


親御さんを攻撃して(非難して、問題を指摘して)いることは、
ダメな部分に必要以上にフォーカスしてしまって、
自信を失わせ、エネルギーを奪い、
どんどんとマイナスの方向へ向かわせます。


だから、それは逆効果なのだと私は思います。

もし、良かれと思って親御さんを「バカ親」と表現して、
結果的に攻撃していることになっている方がいらっしゃいましたら、
どうかやめていただきたい。

それは問題の当事者である子どもさんの為です。

親御さんを攻撃することは、
子どもさんを攻撃しているのと同じことなのです。

************

この記事はここで終わりません。
大事なのはここからです。
明日掲載予定の「神経発達症(発達障害)とバカ親論争②」に続きます。


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お知らせ
12/15掲載のWeb女性誌「Trinity」のわたもりの記事は
アロマリーディングについてご紹介しました。
この世界全てが、あなたにメッセージを伝えようとしています。
それは何故か?を知ってください。

「アロマリーディングをご存知ですか?―ホリスティック健康相談」

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アスペ、HSPは性格が悪いのか?

「うちの会社に本当に嫌な人がいて、あの人絶対アスペルガー(or発達障害)だと思うんですよ」
「自分が敏感だからって他の人をバイキン扱いして、本当に嫌な人いるんです」
「うちの夫の性格が悪いのはアスペ(or発達)だからだと思うんです」
「うちの子どもがあんなに性格が悪いのは、発達(orHSP)だから仕方がないんですか?」

などなど、この一年、何度聞いたかわかりません(^^;)

ごめんなさい!!
神経発達症(発達障害)やHSPの方!
別に皆さんを攻撃したくて書こうとしているわけじゃないのです。
こう言う風に誤解している人が多いですよ!!と言うことを書きたいし、


非神経発達症や非HSPの方々には、
それは大きな誤解です!!って書きたいのです。


*************

はじめにはっきり書きます。

それは、神経発達症やHSPのせいではなく、
他になんらかの障害や病気があったとしても、
そのせいではなく、
その人個人の性格の問題です!!

全ての
アスペやHSPやその他の症状や体質を抱えている人が、
他者を攻撃して、悪口を言って、
わがままを言って、迷惑をかけるわけではありません!!


むしろ「自分はなんてダメなやつなんだ!」と自己卑下して、
「生きている資格がない」と二次障害でうつ病になったり、
「人と接するのが怖い」と対人恐怖症になったり、
世の中に出ていけない人がたくさんいるんです。

非HSPや非神経発達症なら、
「それくらい誰にでもある失敗だよね」と言うことでも、
すごおおく落ち込んでしまったりしているんです。
何しろ、本来は生まれつき真面目だったり、
良心的だったりと言う性質の人たちですから。

もちろん、失敗や出来ないこと、苦手なことはたくさんあります。
でも、悪気があってやっているわけじゃなく、
本気でできなかったり、
どうしたら良いかわからないのです。

それに、神経発達症やHSPだから
できなくて当たり前だろうって開き直っているわけじゃないんです。
そういう自分を許せない人もたくさんいるのです。


*~*~*~*~*~*~*

その一方で、やたらと他者を攻撃する神経発達症やHSPの方々がいるのも事実です。

私がこのブログにHSPの情報を書き始めたのは、
5年ほど前にインターネットで調べようとしたら、
非HSPの方々を「ニブイ人」と呼び、攻撃し、
他者を批判ばかりし、悪口ばかり書き、
自分たちは生まれつきの体質なんだから理解しろ!
自分たちに合わせろ!
こうなったのは親が悪い!!
と、書いている人ばかりだったからです。
(他にはE.N.アーロン氏の本を丸写しの人ばかり)

HSPの過敏さを相手の弱点を見つけるとか、
上げ足をとるためや言い訳に使っている人たちだと私は感じました。

そうじゃなかった人がいらっしゃったら、ごめんなさい
たどり着けませんでした

だから初めの方に、
「神経過敏な困った人々」と言う4つの文章を書いたのです。

私もHSPですが、「困ってしまうHSP」の人たちに悩まされていたからです。

だから、そういう人ばかりとは限らないですよ。
困っていても、一人で悩んでいる人が多いのですよ。
こう言うことで困っているのですよ。
とても良心的な人たちなのですよ。
生かせば素晴らしい能力ですよ。
私はこうやって生き方を変えましたよなどの情報を書きたいと思ったのです。

アスペルガー症候群の方については、
自分が他と違うってわからなかったり、
判ってもどうしたら良いのかわからずにいたり、
大切な人を困らせていても気が付かなかったり、
その結果、人間関係のトラブルを抱えてしまって、
そうなって初めて気が付く人も多いのです。

相手を不快にするという着地点は同じかもしれないけれど、
むやみやたらと攻撃している人とは違うのです。


もちろん、人を批判してばかりの人もいます。
その性質に生まれたことを恨み、親を怨み、
他者を憎んだりねたんだり、障害を言い訳にしたり。
でも、「そういう人もいる」と言うだけで、全員がそうではありません。

そういう風に他者を批判し、攻撃し、悪口を言う人は、
非神経発達症や非HSPの人にもたくさんいます。


だからって非神経発達症や非HSPの人が
全員、他者を攻撃するかって言うとそうじゃないですよね?


それと同じなのです。

障害、体質、病気などのせいではなく、
個人の資質の問題です。


*:::*:::*:::*:::*:::*:::*

もし、今、誰かを傷つけたり、迷惑をかけてしまっている人がいたとしたら・・・。
生まれつきの性質や疾患があってもなくても。

生きていれば迷惑をかけてしまうことはあるし、
誰かを憎んだり、怨んだりしてしまうこともあります。
自分をコントロールできなくなることもあります。
自暴自棄になって、誰かを傷つけてしまうこともたくさんあるでしょう。

そういうことは誰にでもあります。
私にもありました。

でも、大切なのは、今、そして、これから先、
どういう人になりたいか?
どういう行動を選びたいのか?だと思います。


昨日まで、今までのあなたが、
意識的にしろ、無意識にしろ、
他者を傷つけ迷惑をかけてきたのだとしても、
それは過去のあなたがしてきたことです。
だから、それは変えようがない。
後悔するとしても変えようがない。
反省して、謝罪したりするしかない。


でも、ここから先の自分は選んで行けます。

他の人がどうか?じゃない。
神経発達症の人がどうか?じゃない。
HSPの人がどうかじゃない。
性格の悪い人がどうかじゃない。

ここから先の自分はどうしたいのか?なのです。

きれいな言葉を並べて聖人君子のふりをする必要なんてない。
性質がどうかなんて関係ない。
自分についている傷がどうかなんて関係ない。
世の中がどうかなんて関係ない。

世界は自分自身から始まっているのだから、

これからの自分を選んで行くしかないのです。


自分の選ぶ言動や行動が、これからの自分を作っていくのだから。
だから、自分はどうなりたいのかを良く考えることが必要だと私は思います。

私は傷つけられても、傷つけないことを選びました。
裏切られても、裏切らないことを選びました。
うまくできないこともあるけど、そうしたいと思っています。


何故なら私は、
人を傷つけたり、迷惑をかけたり、うまくできないことばかりだったりして、
「自分は生きる資格がない」とうつ病になって、
あちら側の世界との境を歩いたことがあるからです。
傷つけることの痛みを知っているからです。

以前「他者を傷つける痛み」と言う文章に書いたことを
ここに再度書きます。

「他の誰がせめても、私だけはあなたを責めません。
私もその傷を持っているからです。
傷つくだけではなく、傷つけることも
人は宝に変えることができる生き物だと私は信じています」

もし、自分を本気で変えようと望むのなら。



性格の悪さは、個人の資質の問題です。
そして、私はそれを変えていけると信じています。
あくまで、本人が望むなら、です。
「そうすべき」とは思っていません。


最後に、Terraのクライアント様や、
私の周囲の神経発達症やHSP、その他の性質や疾患を抱えている方々へ。

皆さんが大変な性質などを抱えていても、それを変えようとし、
何とかしようと努力していることを知っているから、
皆さんが、とても真面目で、努力家で、良心的だって知っているから、
私はこの記事を胸を張って書くことが出来ました。

いつも、皆さんを本当にすごいと思っているし、
光りへ向かうその姿を尊敬しています。
本当にありがとうございます

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