「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

黒いコートのサンタクロース(後編)

2011.12.10 黒いコートのサンタクロース(前編) の続きです。
(参照 2011.12.9 ごあいさつ
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黒いコートのサンタクロース(後編)

私はいつもの通学時の速い歩調で歩き続け
地下鉄駅につながるデパートの階段へと向かった。
「だから、そういう気分じゃないから」
「どうして?」
彼は長い足でやすやすと私についてくる。
私はとにかく、彼から、と言うよりは男性から
離れたいと言うことしか考えられなかった。
デパートの建物を通り抜けて地下鉄のコンコースへ続く扉の前で、
私は何とか彼を振り切ろうととうとうこう言った。
「昨日、とてもショックなことがあって、
とにかく誰にも会いたくないし、話したくないの。
クリスマスが楽しいなんて、今はとても思えないの」と。

彼はきっと心配してくれたのだろう。
「自分でよかったら話を聞く」と言ってくれた。
けれど私はそれを拒んだ。
とにかく一人になりたかった。

彼はやっとあきらめ、
別れ際に名前と下宿先の電話番号を書いた小さなメモをくれた。
どの時間帯にならいるという簡単な説明とともに。

彼と別れて私はほっと息をついた。
そして、当初の予定通り2、3歩踏み出したところで、
本当はどこへも行く当てなどないことに気がついて立ち止まった。
どこへ行こう?そう思うと、
朝食を食べていないと思い出した。
空腹な自分に気がついた。
それまでそんなことは考えられもしなかった。

そこまで思ったとき、
自分がそれほど最悪な気分ではなくなっていることに気がついた。
思わず彼が去った方向を振り返ったが、
彼の姿はもうなかった。

「やっぱり人はそれほど悪い物ではないかも」
そう感じている自分がいた。
まだ手には彼がくれたメモを持っていた。
私はそれを大事にかばんにしまった。

そのメモはその後もしばらく持っていたが、
その後の人生のごたごたの中で無くしてしまった。
彼に電話を掛ける勇気はなかった。
あんなに冷たい態度をとったのに、と、ためらった。
もし電話していたら、
その後の人生の何かが変わったのだろうか?

その問いへの答えはなくても、
はっきりしていることがある。
それはその日彼に出会ったことによって、
私は救われたということだ。
彼に出会わなかったら、
あの日私は地下鉄に飛び込んでいたかもしれない。
(何しろ子どもだったから)

その後のめちゃくちゃな人生のなかで
時折私はそのときのことを思い出し、
「うん。やっぱり人は良いものだよ」と思った。
どんなひどい目に合わされた時も。
ばかみたいだと自分でも思うけれど、そう思えた。

そういうことがあるから、
人生は不思議で、素敵だ。

彼は気がついているだろうか?
自分が人一人の心を救ったと言うことに。
その後の人生を生きていくうえで
とてもとても大切なプレゼントを贈ったということに。

人は誰かのサンタクロースになっている瞬間がきっとある。
人は不思議で、素敵だ。

だから私はサンタクロースはいるのだと思う。
とても大変だったけれど、「そんなものはいない」と言う
人生を送らずにすんでいる。
それ以上の贈り物があるだろうか?

ありがとう。ありがとう。ありがとう。
何度言っても足りないくらいだ。
ありがとう。

あなたはきっと幸せだと信じています。
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黒いコートのサンタクロース(前編)

黒いコートのサンタクロース(前編)


その日は日曜日で、学校は休み。
一人でいたくないけれど、誰かに会うのも嫌だった。
私は一人暮らしの部屋を出て、
通学のために乗るいつものバスに乗り込み、
いつもの場所で降りた。
そしていつも歩く道順で、
いつもの地下鉄駅へと向かった。
前日の出来事が頭をよぎる。

当時私は二十歳で、
少々こじれた恋愛関係の末におこった
最悪の出来事にとてもショックを受けていた。
それはその後に起こる数々の出来事に比べたら、
とても可愛いものといえるのだが、
当時の私は若く、子どもだった。
人間の奥にある広大な宇宙など思いもよらず、
それを垣間見て、「人間は怖い」と思った。

街には大音量でクリスマスソングが流れ、
きらびやかに飾られていた。
私は何も考えられず、
自己嫌悪と軽蔑、恐怖、後悔・・・、
とにかく暗い感情に壊さないようにと
心を守るのに必死だった。

横断歩道を二つ渡り、
その街の中心街の大きなデパートの前に差し掛かったとき、
前方にいる若い男性が目に入った。
男女問わず街行く人に声をかけては断られている。
背が高く、細身で、私と同じくらいの年で、
足元まである木綿の黒いコートを着ていた。
その時の私は、特にそう言う人に会いたくなかった。
私をそういう状態にしたのが、
やはり若い男性だったから。
身を硬くしたのがかえって目立ったのか、
その青年は私に声をかけてきた。


「あの、すいません。
クリスマスはどうして楽しいんだと思いますか?」


(はあ?・・・この最悪の日に何言ってんの?この人)
あまりに意外な問いかけに固く閉ざしていた口が(心が)開いた。
「今、そういう気分じゃないんでごめんなさい」

そう、その日は20年生きてきた中で、
最もそういう気分じゃない日だった。
クリスマスもその日以降はその出来事を思い出して、
きっと嫌な思い出になるだろうと思っていた。

彼はなぜか私についてきた。
「どうしてですか?何かあったんですか?」
私は誰かにその出来事を説明できる状態にはなかった。
だから友達にも連絡できなかったのだ。
その質問をかわすため、
そして、頭をもたげた好奇心から私は逆に問いかけた。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」

彼は自分が建築設計の専門学校に通う学生だと自己紹介し、
高校時代に演劇をやっていて、
今はクリスマスをテーマにした脚本を書いている。
その取材のために色んな人に聞いているのだと説明した。

偶然にも私も学校は違うが建築設計の専門学校に通い、
高校時代に演劇をやっていた。
歳も確か同じだったと思う。
それを告げると彼はどこかでゆっくり話をしようと持ちかけてきた。
私がもっとも男性と話したくない日に。

これは何かの冗談かと思った。
あまりに出来すぎた話にどこかで誰かが私を見ていて、
私をからかうために仕掛けているのかと思った。

(黒いコートのサンタクロース 後編に続く)
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暗闇の中の光

このブログをUPするにあたり、
何度も自分の書いた文章を読み返しました。
「私はなぜこのような人生を送っているのか?」
その答えを見つけたくて始めた森歩きは、
私に一つの答えのようなものを与えてくれました。
この結論は、もしかしたらまだ道の途中かもしれません。
それでも、今はこの結論に満足しています。
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暗闇の中の光

あるとき、薄ぼんやりとした頭でも、
否応なく気付く時が来た。
私はこの人生において、
人が選ばないほう、
近付かないほうばかり選んで生きてきてしまったのだと。
意図してそうしたのではなく、
何度も失敗を繰り返し、
沢山の痛い目を見たからこそ
慎重に選んできたはずなのに、
いつも自分を苦しめるような選択をしてしまっている。

そう気がついた時にはもう、
人生は折り返し地点まで来ていた。

人が自分の大まかな人生と、
体を選べるのだとしたら、
私は間違いなく、
人が選ばないようなものを選んで
生まれてきたと言うことになる。

私は闇の中に立っていることが多かった。
周囲にはどこかに暗闇を抱え、
その割合が人よりは多いような人がいた。
彼らは私を意識的に、あるいは無自覚に傷つけた。

過去には、神仏を恨んだこともある。
「助けて」と、心の中で繰り返したこともある。
過去の自分の選択を悔やむ日々が繰り返された。

賢い人なら、その暗闇には近付いたりしない。
そして、私も人の親としてなら、
闇に近付いてはいけないと子に教えるだろう。
しかし私はその分別を超えて闇に歩み寄ってしまうのだ。

何故、私はそうしてしまうのだろう?

考え続け、私は答えを見つけた。
かんたんだ。
暗闇は私にとって、懐かしく慕わしいものであるからだ。
私自身の中には先天的か後天的かわからないけれど、
深い闇が存在していた。

だが、ただ闇に近づいていたわけではない。
その暗闇に目を凝らし、
闇の中にかすかな風にさえ揺らぐような
ささやかな光を見つけ出そうとしてきたような気がする。
暗闇を抱えた人の中にも、この私と私の人生にも、
確かにそこに光があることを確かめたかったのだと。
暗闇の中の小さな光を、まるで宝探しのように、
探し当てたいと切望していたのだ。

けれど、それらの光は本当に小さく、
私を時折温めたとしても、
圧倒的な暗闇が私を傷つけた。
暗闇は私を凍えさせ、疲弊させ、
切り刻んできた。
私はそうなってからようやく、
そこから逃げ出そうとするが、
気がついたときにはどうにもならなくなっている。
それでも何度でも私は懲りずに暗闇を選んできた。

光を必ず見つけ出せる。
そして、そこに自ら光を灯すことも出来る。
そうしたくて、そうなりたくて、
私は人の選ばぬほうばかり選んできたのだと思う。

闇の中の光は、灯火は、
頼りなく、今にも消えそうでいて、
明るく温かい。
それは小さな灯りだ。
けれど、圧倒的な闇を押しのける力を持つ。
暗闇と光、その両者があって初めて、
人は人となるのだと、
今、ようやく気が付いた。
それを知るために私は生まれ、生きてきて、
これからも生き続けるのだ。

この体もまた、
この「生」にあったものなのだろう。
痛みと苦しみが多いからこそ、
肉体的にあるいは精神的に
そこから解き放たれる瞬間を知るために。

二年間、私は自分の中の森を歩いた。
「暗闇」と「光」は何度も繰り返し現れた。
かくれんぼをしながらも、
見つけられたがっている子どもの様に。
ようやくそれを見つけた今、
私は森を抜けて旅に出た。
今度は私の知らない私を見つけるために。
そして本来の私の体を取り戻すために。
この旅は長くなりそうだ。
実はもうずいぶんと遠くへ来たような気がしている。
探し続けることで、新たな木が加えられ、
私の森は豊かに広がっていく。
道に迷うこともあったけれど、
私は「私の中の森」を振り返り、また再び歩き出す。
すべての道はこの森に通じていると思い出すからだ。

「私の中の森」は暗闇と光を内包し、
今も静かにここにある。

2011.12.3
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重なり

私の状態をわかっていただきやすいのではないかと思い、
この文章を選びました。

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重なり

アスペルガー症候群、HSP、難読症、メニエル病、
坐骨神経痛、月経前緊張症、聴覚障害、
WPW症候群

今わかっているだけでもこれだけの症状が重なっている。
もしかしたら、私は人より生きるのが大変なのかもしれないと思う。
それでも、私は私以外の人になったことがないから、
自分が大変なのかどうかよくわからない。

ただ、正直いって、
発作が起こるとまったく動けなくなる
メニエル病にだけは参っている。

これはなにかの罰なのだろうか?
それとも乗り越えればその先に悟りか何かが開ける前の試練なのだろうか?

そんな風にどうして自分にはこれだけの症状が
重なっているのだろうかと考えていた頃、
木村秋則氏について書かれた本を読んだ。

木村氏は青森県で不可能だと言われた無農薬・無肥料による
りんご栽培を成功させた人だ。
挑戦し始めて8年間はりんごが一個もならなかったそうだ。
さまざまな試行錯誤と、貧乏や、
家族の言葉では言い表せないような苦労や、
周囲からの冷たい目などの向こう側に、
おそらく人類がなくしてしまっていた宇宙の叡智を再発見する。
自然農法といっても、そのままではなく、自然の力を知り、
それを補い、自然とともにりんごを実らせるすべを木村氏は見つけた。
木村氏とそのご家族は私が知る限り、
歴史上の人物をも含め、もっとも偉大な人達だと私は思う。

本を読み終わった深い感動の中、
私の中に「自然には何一つ無駄がない」と言う言葉が浮かんだ。
そしてそれが、私が知るべき真実だったのだと思う。

自然界にに生きるものは、鳥も花も虫も
、生きるのに必要な能力を持って生まれてくる。
鳥であれば生息する場所と、飛ぶ高さや生態によって、
足も嘴も羽も一つ一つ形が違う。
花も虫もその役割を果たすため必要な能力を持って生まれてくる。
そしてそれらは自分が他のものより抜きん出た存在になるためではなく、
何か得するためではなく、静かに自然界の一部に生まれ、
その役割を果たし、自然界の一部として命を終える為の能力だ。

だからこの私の症状も私にとって無駄なものは何一つなく、
特別な存在になるためのアイテムでもなく、
必要なものなのだと、自然に思えた。

それでも私はさらにその意味を考える。
この先に何があるのかを考える。
それは私だけのためになる何かではない。
名誉や、特別な力や、ましてや金銭でもない。

それが何か、
今はただ静かに痛みと言う体の声を聴きながら、
それを知るべき時を待っている。


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森の入り口

最初の文章として書いたものであり、
これから何をどのように書いていくのか?を
私自身に宣言するために書いた文章です。

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私の中の森

それは深い深い森。
日の良くあたる、輝く緑の葉を茂らせる樹もあれば、
一年中薄暗い場所に生える樹もある。
時に花を咲かせ、木の実を誇らしげにみのらせる。
秋に美しく葉を染め上げ、
その葉を北風にさらわれることもある。
細い枝をふるわせる樹もある一方で、
緑色の葉をつけたまま何事もなかったかのように
そこにたたずむ樹もある。

それらの樹の一本一本を眺め、触れ、香りをかぎ、
地面の下に遠く遠く何かを求め伸びる根に思いをはせ、
静かに、けれど力強く吸い上げる樹液の音に耳を澄ませるように、
私を取り巻く一つ一つの事柄にまつわる文章を書いていこうと思う。
時にはもう枯れた樹や、これから芽吹こうとしている樹もあるかもしれない。

これは、私の中にある森への探検であり、冒険であると同時に、
これを目にするあなたの中への探検であり、冒険でもある。

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