「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

スピリチャルな一言―断食と苦行

ひさ~しぶりのスピリチュアルな一言です。

スピリチュアルな一言とは、
ご相談の中でスピリチュアルな事も扱う私わたもりが、
スピリチュアルな事を一言つぶやくシリーズです。

そのまんまです(^-^;

また断食ネタです。

飽きちゃった皆さん、ごめんなさいm(__)m

スピリチャル系Web雑誌Trinityに書いた断食記事、

「死と再生—断食とスピリチュアルの関係」

の続きと言っても良いつぶやきです。


***************


食べないことを苦行だと思っているうちは、

悟りなんて無理だと思う



**************

私は3日間断食しても、全く苦しいと思わず、

多分、それ以上続けても大丈夫だったと思います。

不食状態になってしまったので、
あのまま続ければ、
今、本当に食べない人になってたと思います。

でも食べますよ。

身体の為には

私の場合に限って言えば、

食べない方が良いと思うのですが、

私にとっては食べる=レジャー、楽しみだからです。
人生には楽しみって大事です。

いや、ホント。


何故、こういう状態になるかというと、
身体が陰陽酸アルカリのバランスの取れた中庸だからです。

崩れたバランスをとるために何かを食べて補う必要が無いのですね。

(私の場合は断食を続けると陽性になりすぎちゃいますが)

身体のバランスがとれてると、
食べなくてもそれ以上痩せないし、
食べなくても平気です。

水分摂取も下手するとしなくて平気になると思います。
断食後、数日は意識して水分を取らないと全く飲まないで20時間経過してたとか結構ありましたので。

だから、食べないことは苦行にはならないですよ。

じゃあ、何が大変かという事については、
上記リンク先のTrinity記事を読んでくださいませ。

そこに書かれていることが大事なのです。


で、この中庸は私達がこの仕事を通して目指している物でもあります。

今年お正月に書いた記事、
「バランスの取れた世界」
は、その思いを綴ったものです。


スピ好きな人ならご存知でしょうか?

この中庸、仏教をはじめとし、
あちこちの宗教とかで目指すもの、とか、
理想の姿、とか、あるべき状態のように言われるものです。

何かのスピ系ワークに
「私はバランスします」とかいうのがあったけど、
それって言ってるだけじゃダメなんじゃないかと思います。

てか、口先でどうにかなるんならとっくにどうにかなってるでしょ。


別に私が悟りを開いたとは思っていないし、
目指してもいないけど、

もし、悟りと言うものがあるとしたら、
苦行とか、そういうの関係ないところにある、

静かな何かだと思う。

すとん、と、落ちてくるような。


ただ、私は悟りなんて全く開けない、
ダメダメで、喜怒哀楽に翻弄されてて、
面白くてかわいい、
そういう人間という生き物が愛おしいと思っています。

一生懸命生きていれば、それでいいじゃないですか。

全員が中庸になったり、悟りを開いちゃったら、
地球はえらくつまらない場所になっちゃうと私は思うの。


健康で幸せじゃないなら、
健康で幸せになりたいと望む場合は、
そこを目指せばいいし、

望まないなら、そのままでいい。

うん、ホント、Trinity記事に書いたこと、そのものが大事だと思うのです。

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スピリチュアルな一言&精神的ストレスにゆず番茶の季節

ゆず番茶
↑今年もゆず番茶の季節です(*^^*)

メンタルコンサルティングTerraの店舗に来てくださったクライアント様には
お茶をお出ししています。

流輝先生のクライアント様にも私がご相談中で無ければお出しします。

あ、もちろん無料ですよ(笑)

その日の気分や、季節的に身心に起こりやすい症状を考えお選びしています。

この季節は柚子が出回りますので「ゆず番茶」をお出しします。

無農薬有機栽培のゆずの皮を千切りにして冷凍庫にストックしておき、
無農薬有機栽培の三年番茶(嗜好品用)に入れてお出しします。

番茶のいい香りの中にゆずが香り、ホッとした気持ちにしてくれます。
何らかのお悩みを抱えた方のほんの少しの助けになればと願いを込めてお出ししています。

※三年番茶には嗜好品として飲むものと、
病気治し用に煮出して飲むものとあります。

これはマクロビオティックの先生を名乗っている人でも知らない場合があるので、
詳しくは久恵先生のHPにある
「公開お手当レシピ」の「梅しょう番茶」の記事をお読みください。


柚子をはじめ柑橘類の香りは東洋医学的に言うと
「利氣健脾」と言って肝臓の氣の流れを良くし、
脾臓の働きを助ける
と言われています。

氣の滞りはストレスや冷え、暴飲暴食などで起こるのですが、
柑橘類の香りのものですっと楽になったり、
氣の流れが良くなり、内臓が正常に働くことで血流が良くなり、
身体が温かくなります。

他に氣の流れを良くするものとしてジャスミンティーなどもそうです。

ストレス性の便秘の方には便秘が解消するなどの効果もあります。

でも、過ぎたるは及ばざるが如しなので、適度にとりましょうね(^^;)

他にはハーブティーや、
紅茶や緑茶にオレンジピールやミント、カモミールなどを入れたり、
風邪のはやりそうな時にはビタミンCたっぷりのローズヒップティーなど、
季節によって変えてお出ししています。

今の季節は身体を暖めるという事で生姜を多用する方も多いのですが、
薬膳的には生姜は汗をかき、身体の水分を奪うので、
乾燥する秋冬にはあまりとりすぎない方が良い食材とされています。


秋冬は乾燥性のカゼをひきやすい季節なので、乾燥に弱い肺の症状として、
咳や鼻水などの風邪をひきやすくなります。

(ちなみに夏は湿性の風邪でおなかの症状です)


他にはメンタルコンサルティングTerra十勝ブログ安心して食べられるお店カテゴリでご紹介した旭川市「ライフ・ラプサン」さんの「焼き茶」もお出しします。

お茶はカフェインを含み陰性なのですが、
紅茶を煎ってあるので陰性もカフェインも弱まっています。
それにすごく美味しいですよ(*^^*)
焼き茶を飲みたくなると、「あ、秋だな~」と思うくらい、
秋冬に合うお茶です。

最近は本州からTerraのある北海道帯広まで来てくださる方が
月に1名は必ずいるという状況ですし、
北海道内だと月に数名の方が遠方から来てくださいます。

本当にありがたいです。

「どうしてもわたもりさん達にお会いしたい」
と、言っていただけるのがとてもありがたいです(*^^*)

そういう方達にもお茶しかお出しできないのが心苦しいのですが(;'∀')

でも、玄関で初めてお会いした時に、
「え?曽我部(わたもり)さんですか?」と聞き返されることが多く、
文章や声やご相談時で受ける私の印象とはずいぶん違うようです。

玄関を開けた途端に
「化粧品何を使っているんですか?」と聞かれたこともあります(笑)


*****************
スピリチュアルな一言


さて、久しぶりのスピリチュアルな一言です。


HSPや霊感のある人とお電話やスカイプでご相談をしていると、
音声が途切れたり、通信が切れたりしやすい


最初は気のせいかと思っていたのですが、
これが数十件ともなると、
氣のせいじゃないよね、と、思うのです。

初回の方は緊張されていたり、
また、お話の内容によって感情が高まると、
雑音が入ったり、
音声が途切れたり、
通信が途切れたり・・・・・(-_-;)

直観力のある方は、
受け取る方もですが、
多分、
発する方も強いのだと思います。

霊障のある方は、
肝心なポイント=霊にとっては聞かれたらまずい話になると、
雑音が入ります(^^;)

で、皆さん、
「何故かうちの電話、途切れたりしやすいんです~」
と、おっしゃるところも共通しています(^_^;)

多分、私の氣と繋がって、
元々の性質が高まるというのもあると思うんですけどね。

これをお読みのHSPや霊感のある方、
スマホ・携帯電話が壊れやすいとか、
電話が切れやすいとか、ないですか?

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パワースポットとか―スピリチュアルな一言

久しぶりのスピ系記事&スピリチュアルな一言です。
スピリチュアルなことについて一言つぶやくだけだったはずが、
最近は色々書いちゃってて、どこが一言だよっ!て突っ込みたくなる、
じみ~なファンの多いコーナーです(笑)

今回は興味のある方多いかも。
パワースポットについての一言です。

***********

先日ある方と話しているときにその方から出たひと言。

「パワースポットの場所を限定する意味がわからない」

この意味、わかる方、いらっしゃいますか?
私も同じことを思っていて、
だよね~~~!!って盛り上がったのですが

これは、
「自分からしたらどこもかしこもパワースポットだらけ」だと感じると言う事。

「ここは心地いい」と感じる心があり、
見えないものに感謝する気持ちがあれば、
神社とかどっかの湖とか限定しなくても、
どこでもパワースポットになるのに。
と言う意味です。


あなたには毎日、「普通に」、見えないものに話しかけたり、
感謝したりする習慣がありますか?

Terraでは「スピリチュアルは普通です」ってお伝えしていますが、

そう!そうなの!それ!
そういうのがスピリチュアルってことなの!!

と私達も日々思っていたのです。

例えば実際に仏壇の中に亡くなった方が入っているわけじゃなくても
手を合わせてご飯やお水をあげますよね?
ご飯を食べるときに「いただきます」って言いますよね?
言葉が無くても、誰かの思いやりを感じて、ありがとうって思いませんか?

私達の言うスピリチュアルって、
パワースポットがどうとか、チャクラがどうとか、
あちらからのメッセージがどうとか、
前世とか、オーラとか、
予言だとか、守護霊がどうとか、
そういう事じゃないのです。
(否定はしませんよ。それが普通だから特別扱いしないだけ)

そういう「いかにも」ってことじゃなく、
毎日の中に普通にあるものだよってことなのです。
見えなくても確かにそこにあると感じるものなのです。


時々クライアント様から
「私にとってはここがパワースポットです」
(「ここに来ると元気になる」の意だと思う)
と言われることがありますが、
それはこの空間を私達が大切にして、
浄化を心がけているからだと思うのです。

*~*~*~*~*~*~*

元々、神様とかってそう言うものだったようです。

なんだかよくわからないけど、
そこに何か特別なものがあるような気がして、
畏れ敬うもの。
そういう人間の気持ちを受けて、
ただの石が神の降りる場所となる。
そう人間が感じ取ったからこそ、
そこを大切に扱い、周辺も含めて神域となる。


日々使う道具でさえも、
丁寧に作り、大切に使い、感謝して行くことによって
歳月を経て魂が宿ると言われていましたよね。

それがのちの世に特別な場所や、特別のものとして伝わる。

パワースポットって、そういう場所の筈なのですが。

最近は「ご利益デパート」みたいに勘違いしている人が多く、
確かにそこにいらっしゃった神様も、
奪われるばかりで「畏れ敬われる」ことが無く
「お賽銭払えばいいでしょ」的に扱われ、
疲弊している神様を良く見かけます。

私も流輝先生もよく神様たちに愚痴られます。

ご利益を求める心はわかります。
見えないものにすがりたい。
そういう時ってありますよ。
でも、ご利益って、エゴだし、
その前に畏れ敬うって気持ちがあるはずなのです。

「霊験あらたかな神社」とかっていうけど、
じゃあ、霊験あらたかじゃなかったら行かないの?
感謝しないの?って思います。
パワースポットだから特別だと思い、
感謝するって、ちょっと違うって思いませんか?


以前も書きましたが、
人間の「気」が汚れすぎていて、
そういう人たちがたくさん押し寄せるために
どうしようもない状態になっている場所もあります。
「ある池の神様の話」参照

特に清浄な場所ほど人間の持ち込む「気」の汚れにはてきめんに弱いようです。

特別なパワーをもらわなくても、
自分でパワーを保てる生き方をした方が良いですよ。


身体を汚す食べ方をして、
人を憎み、妬み、争って心を汚くして、
「感謝しなければいけない」からと理屈で感謝して魂を汚す。


それは、あなたを幸せにすると思いますか?
パワースポットを選ぶ前に、行く前に、
生き方を考えた方が良いと思いませんか?


・・・とはいえ、難しいですよね。
だって、それが現代の「普通」だもの。
そういうのを奨励する本とか、情報とかたくさんあるし。

でも、神様に心地いいってことは、
本当は人間にも心地いいのではないかと思います。

ご利益を本当に求めるなら、
それは日々の生活の中から生まれるのだと私たちは考えています。


*::*::*::*::*::*

お手軽現世利益的スピリチュアルに、
日々「ん?」って思っていたことを書いてみました。

こういうのって、一般的スピリチュアル好きの人たちにケンカ売っているのかな?
あなたはどう思いますか?

いつもはお願いしないけど、ちょっとアンケートのつもりで
今回はこの記事に共感したら、拍手お願いします。
FBの良いね!シェアもお願いしますm(__)m

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スピリチュアルな一言

2015年の最初の記事は何にしようかと悩み、これ
前に書いたことあったかな?
でも、最近も伝える必要があるよね~と思っていること、デス

***************

スピリチュアルなものごとは普通のことです

神主の家系に生まれ、霊感のある一族で育ち、
色々な霊体験をしながらも、
35歳くらいまでそういったことを一切否定していた私。

そういう一族なのに、私の両親だけはそういうの全くなくて、
一切否定していたから、心のどこかに親に気に入られたいと言う欲求があったのでしょう。
「普通」であることへのあこがれはとても強かったと思います。
私もスピを否定するようになっていました。
しかもかなり頑固に(笑)

35歳くらいのころスピリチュアルブームが起き、
「一年間スピリチュアルをテーマに本を読み漁る」と言うことをして、
ある日、「もういいか。あるってことでも」と思いました。
(HP「私の中の森」→「スピリチュアル」参照)

まあ、つまり、そんな葛藤を生むほど、スピリチャルなものごとは私にとっては
特別?普通じゃない?異常?な出来事だったわけです。



だから「人生の流れを変えたい」とか
「スピな力をコントロールしたい」とかいう理由でレイキのアチューメントを受けた時、
師匠の言葉に衝撃を受けました。

「そういうの(スピリチュアルは)普通のことだから」

衝撃を受けたのは師匠がかっこうつけとかじゃなく、
本気でそう思っているというのがわかったからです。

そのころ(2013年秋ごろ)の私の周辺には
「宇宙や天界の記憶や知識を持っていて私に教えてくれる人」
「前世の記憶を全て持っていて、そのうち私に必要なことを伝えてくれる人」などがいました。

私もチャネリングしたり、前世の記憶を次々思い出したりしている頃でした。

スピは特別と言う前提で話されることばかりでした。
私は次々起こる出来事に、驚いたり戸惑ったりしていました。

師匠のレイキ講座は人によって内容が違います。
その人に合わせ、知りたいこと、必要なことを教えてくれるからです。
私にはほとんどスピリチュアルな話でした。
(レイキの知識は本を読めばわかりますので必要ありませんでした)

その中で何度も繰り返されたのが、
「スピリチュアルなことは普通」でした。

特別に騒ぐことじゃない、と。
私の知る限り、本気でそう言えるのは師匠だけだと思います。

それから時間が経って、今、私もそう思います。

少なくとも特別じゃない。

スピな体験をしている人も、
スピな力を持っている人も山ほどいる。
特別じゃない。
本当は誰でも持っていた力。
必要ないからなくなっただけ。


だから、このブログでも、普通の出来事として、
様々な私の体験を書いてきたつもりです。
普通だって思ってくれるといいな~って。
神様たちも可愛かったり、ずるかったり、ダメダメだったりしていて、
人間と変わらないよ~って。
(かけないことも多々ありますが)

それを、ごくごく、たま~にですが、
うらやましがられたり、
ねたまれたりすると、
う~ん、なんだかな~、って思っちゃったりします。

スピな力も、発達障害も、HSPも、その他の特徴も、
全部、人生の大半で私を振り回し、困らせたものでしかなくて
最近やっとうまく付き合えるようになってきただけなのになって。

当店に来ると、スピやHSPの人なんて山ほどいるんですけどね
(そのうちHSPなお茶会とかしたいと思っているくらい


でね、何が言いたいかと言うと、
スピな力も、HSPや発達障害や、その他の特徴も割と普通にあるものだけど、
その人がしている体験だけは、その人だけのものなんだから、
「良い・悪い」に分けている場合じゃないんですよ、
それを体験できたことが素晴らしい事なんですよってこと。


辛いとか、苦しいとか、悲しいとかいう体験も、その人にしかできない体験で
それを生かして、人を思いやったり、
誰かを幸せにする力に変えられるかどうかなんですよ、ってこと。

それは私みたいな仕事をしなくても、
身近な誰かに対してでもいい。
1人の人が体験できる範囲って限られているから。
その痛みを分かち合うだけ、共感するだけで良いから。
「わかるよその気持ち」って言うだけで良いから。

そんな風に自分の心や体験を「平和利用」できるかどうかの方が大切なんですよってこと

人は本当に面白く、素敵な生き物です。
自分の中にきれいな部分があるって気がついてほしい。
それは特別な力のあるなしなんて関係ない。

あなたの中には人を幸せにする可能性がたくさん眠っている。
見つけられるのを待っている宝石のように。


そうするのも特別なことじゃない。
普通の事。
頑張って、無理してすることじゃないですよ。

そんな素敵なあなたの中の「普通で特別なこと」に、
どうか気が付く、一年でありますように

あなたはそこにいるだけで、素敵で特別な人です

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スピリチュアルな一言

ここの所、夢解析でも、カードリーディングでも、

「休息をとりなさい」
「瞑想してエネルギーを蓄えなさい」
「一歩ひいて状況をみなさい」

と、言われています。

一ヶ月以上放っておいたら、
そうせざるを得ないような出来事が起こったり、
この仕事を始めてからはなくなっていたような体調不良に見舞われました。

あちらの世界からのメッセージは、
言葉やビジョンだけではなく、
出来事や体の症状としても伝えられます。


普段仕事では「自分と向かい合ってください」などと言っているのに、
自分ではそこから逃げていたと思います。

それで先日からレイキのエネルギー訓練を兼ね、
瞑想を始めました。

今日はその中で心に浮かんだ言葉を書きます。

これが最終結論と言うことではなく、
覚書のようなものになってしまうと思います。
私の思考をそのまま書くような取り留めのない文章でごめんなさい。

(最近は瞑想をしてもあちらからの言葉が伝えられることは少なくなりました。
それはあちらの世界とつながらなくても言葉もビジョンも受け取れるようになったからかと思っています)

********

生きるとは、すべてを受け入れる勇気と覚悟を持つこと


呼吸は自然としているものです。

吸うだけの人もいないし、
吐くだけの人もいません。

吸うことばかりを望んでもかないません。

つまり、結果を求めても、何かをコントロールしようとして願っても、
起きてくることを避ける事はできないのではないでしょうか?



私は過去にとても大きな心の傷を負い、トラウマとなっています。

先日そのトラウマを刺激するような出来事が起こり、
PTSDの発作を起こすようになりました。

私はその最近起きた出来事、と言うよりは、
それが思い出させる過去の出来事と向かい合わなければならないようです。

「もう二度とあんな暗闇には行きたくない」
「同じ思いはしたくない」
「私は暗闇が怖い。嫌だ」

過去の出来事と向かい合うということは、
そういう自分自身と向かい合うこと。

その痛みを再び味わい、考えること。


それについてはもう十分考えてきたつもりでした。

けれど、長い時間を経て、様々な体験をし、状況が変わり、
少しだけ成長した今の自分でその出来事と向かい会う時が来たのだと思います。

だから、それを思い起こさせるような出来事が起こったのでしょう。

つまりは全て起こるべくして起こっている。

*~*~*~*~*~*

私は日ごろ、クライアント様には
「全て起こることには意味がある」
と、言っています。

出来事には良いも悪いもない。
良し悪しに分ける「裁く心」を手放すと楽になると。

けれど、それはとても難しいことです。
だからこそ、世界中の賢者が一生をかけて学ぶのです。

私もまた、ここで学ぶときが来ました。

「傷つきたくない」

そういう結果を望んでも、
そうならないように努力しても、
結果は自分では選べません。

そうなる時はそうなります。

そして、その時感じる感情にも良いも悪いもありません。

喜怒哀楽、全て「自然」に起こってくるものです。

だから、理屈で取り繕い、感じたままを否定することはないのです。

怒り、悲しみ、憎しみ、嫉妬、怨み、蔑み

それがどんなに目を背けたくなるようなものでも、感じて当たり前。

それは一時的に自分の心を揺らします。
風が枝を揺らすように。

枝が折れる時は折れるし、
葉が飛ばされる時は飛ばされるように、
それによって何かを失うかもしれません。

それを怖がって、嫌がるということは、
吹く風を無理やり止めようとするようなものではないでしょうか?


起こる結果をコントロールしようとすることでは?

あの時の私は、すべてがうまくいくようにと、
「自分が幸せになる結果」にしようと、
コントロールしようとしていました。

けれどそれがかなわず、深く傷つきました。
傷つけた人を憎み、
今までもずっと、同じ状況になることを恐れてきました。

それからずっとそうならないようにと願い続けていました。
それは再び結果をコントロールしようとすることではなかったでしょうか。

けれど、すべては起こるべくして起こるのかもしれません。
良い結果だけ望むのは「とても不自然なこと」

だから、今、私に起こっていることは、
過去の出来事も醜い感情を持った自分も
「自然なこと」だと受け止め、
私を傷つけた人達も、私自身も、起こった出来事も
すべて受け入れるために起こったのではないでしょうか?

「許す」とは「起きたことは全て吹く風と同じだ」と知ることなのではないでしょうか?
良いも悪いもなく、自然なことだと。

*:::*:::*:::*:::*:::*

これから先も、同じように、
いや、もっとひどく私を傷つけることが起こるかもしれません。

けれど、それを、「怖い」「嫌だ」と逃げることではなく、
自分の望む結果ではなくても
「起こることは全て自然なこと」だと受け入れること。


全てを「自然なこと」と受け入れる勇気と覚悟を持つこと。
それが生きて行くことではないだろうか?


結果を望まないからこそ、
純粋に自分の心を寄せることが出来る。
感じるまま、思うまま、生きることが出来る。
それは、「自由」と言うことでしょうか?

*--*--*--*--*

これは私の頭が考えていることだろうか?
心が感じていることだろうか?
魂から湧き出ることだろうか?

そういう言葉はきっと、様々な人が今まで口にしてきたし、
たくさんの書物に書かれているでしょう。
私の身近な人も知っていると思います。

でも、それだけではダメなのです。

頭で考え、理屈で理解するのではなく、
「自然と」そうできなければ。

私の血となり肉とならなければ。

そうして、風に吹かれて、この地の上に立たなければ。

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