「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

薬剤過敏症

HPhttp://wata-mori.jimdo.com/" target="_blank" title="「私の中の森」">「私の中の森」を作っていて気が付いたのですが、
私は薬剤過敏症ということについて文章を書いていなかったようです。
まあ、もともと、自分の心と向き合うために書いた文章群ですから、
すべての症状について書いたわけではないのですが。
しかし、閲覧してくださる方には
「何故治療しないの?」と言う疑問を持つのではないかと思い、
書きましたのでUPします。
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薬剤過敏症

医者に直接それと言われたわけではないので、
そういってしまっていのかどうかわからない。
ただ、過去の服薬時に起こった副作用について話すと、
「かなり敏感なんですね」と言われ、
医師は治療できないと言う。

抗生物質でじんましん。
それは半年以上続いた。
解熱鎮痛剤で腹部の激痛。
痛みはなくならないのに、胃の痛みは1か月続く。
鼻水止め(抗アレルギー剤)で、
極度の眠気で運転に支障が出る。
湿布薬でかぶれるというよりはただれる。
「気の持ちようだから」と出された精神安定剤で、
飲む前はなかった錯覚や幻覚がでて、
運転中に事故を起こすところだった。

薬には副作用があるということは知識として知っていた。
そういう過敏な人がいることも。
むしろそういう人を「神経質な人」と軽蔑してさえいたかもしれない。
だが、自分もそうだとは気が付かずにいた。
自分を振り返って、冷静に分析するということが出来なかったからだ。
薬を飲めば飲むほど具合が悪くなる。
2週間たっても症状は改善せず、
症状が消えたころにはそれが薬の効果なのか、
自然治癒力によるものなのかわからない。

いつのころからか、薬を飲むのは気が進まなかった。
半ば意識的に薬を飲み忘れたふりをしていた。
薬を飲まないことは環境によっては、
「病気を治したがらない」と言う非難の対象になる。
しかしそれは本能的なことだったのかもしれないと今では思う。

気か付いたのは子どもが薬に敏感だと医師に言われたことからだった。
それまでも子供が薬を飲んだ後で湿疹が出ても副作用ではなく、
「湿疹」と言う別の病気だと思っていた。
抗アレルギー剤などで一日中眠っていても、
「疲れているからだ。だから風邪気味で鼻水が出るのだ」
と、思っていた。
あるとき高校生の長男が小学生並みの量の薬を飲んでも、
一日中昏睡と言っていい状態になり、
医師に「極度の薬剤過敏」と言われた。
その時初めて、自分ももしかしたらそうなのではないかと思った。

一度そういう視点を持つと、
今まで見過ごしてきたことが見えてきた。
「医者が出すものだから大丈夫」と
思い込んでいただけだということがわかった。

薬には副作用がある。
それは処方箋の注意書きにそえられたただの文章ではなく、
実際に人の体に変調をきたすものだ。
おそそらく医師はよくわかっているのかもしれない。
副作用のことを話すと、
決して薬を出そうとはしないからだ。
医師ではない人たちは以前の私のように思い込んでいるのだろう。
「でも薬なんだから無理をしてでも飲め」と強要する人が多い。
「神経質なだけだ」と。

全く、以前の私のように。

今はよほどのことがない限り、薬は飲まない。
それでなくてもつらさの多い体に負担をかけたいくないからだ。
薬を飲むということは内臓に重労働を強いるということでもある。

どれだけ多くの人が、自分は大丈夫だと思い込んで
あるいはほかの病気だと勘違いして薬を飲み続けているのだろう?

ある意味での弱者になることは
新たな視点を私に、人に与えてくれる。
その時、どうするのか?

私は目をつぶらずに、
しっかりと開けていたいと思う。
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西洋医学

いや~、残暑、厳しいです・・・(--;)

このブログを読んで、
「そんなに病気があるなら何故病院へ行かない?」
と、お思いの方もいらっしゃるでしょう。
でも、行きました。病院、沢山、行きました。
沢山、検査しました。
思えばあれだけ薬飲んで、副作用出て、
それを抑える薬飲んで、副作用出て・・・、と、
沢山薬飲んだのだから、
一回くらいプラセボ効果で効いてくれたらよかったのに。
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西洋医学

私は西洋医学に合わない人間のようだ。

まず、どんなに痛くても、具合が悪くても、
病院であちこち調べられた結果、
どこも悪くないとか、
悪いところを見つけられないとか言われる。

顔色が真っ青で、いすに座っていることすらできない状態で、
血液検査で炎症反応が出ていても、
これといった病気が見つけられないといわれる。
腰痛や坐骨神経痛も同じだ。
生理前に座ることも立つこともできないほどの
むくみができても「異常なし」。

そういう場合、根本治療にはならなくても、
対処療法として薬が処方される。
どこも悪くないから薬を出せないと言われる場合もあるが。
炎症の場合は抗生物質、
痛みの場合は痛み止めや湿布薬。
しかしこれが体質に合わない場合も多い。
痛み止めは2~3回飲んだだけで胃を壊し、
歩けなくなるほど痛くなり、それが1ヶ月ほど続く。
痛み止めは飲めなくなり、痛みはそのままで、
胃痛と言う痛みが増える。
湿布も子ども用のものでかぶれて、
ただれたようになる。
咳止めで動悸が激しくなる。
抗生物質で蕁麻疹が出て、半年ほど治らなかった。
鼻水止めに使われる抗アレルギー薬は眠くなり運転ができなくなる。

そういうことを医者に言うと、大抵嫌な顔をされる。
「どうしようもないね」と言われる。
良心的な医師なら、
「副作用が出るなら無理して飲まないほうがいい」
と言ってくれたり、漢方薬などを勧めてくれる。
が、あまり知られていないのかもしれないが、
漢方薬でも胃痛などの副作用は出るのだ。
もっと良心的で勉強熱心な(と感じた)医者は、
整体などの代替療法を薦めてくれた。
逆にテニス肘で診てもらった医師は、
「仕事でも家事でも手を使わないでやりなさい」と言い、
私が無理だと言うと
「じゃあ、治らないね」と言った。

また、一般の人にも、
「病院へちゃんと行かないから治らないのだ」
「具合が悪くなろうと、薬を飲んで治せ」
と言われる。
原因がわからないから対処療法でしかない薬を
無理やり飲めと強制されるのだ。

こういう体質の人は、私だけなのだろうか?
また、こういった体質の人は、
現代の医学からすれば「規格外」で、
治療を受けられないまま、痛みと苦しみを抱えたまま、
生きていくしかないのだろうか?

代替療法も医師の支持なしには保険適用で治療を受けることができず、
大抵は高額の治療費がかかる。
また、その療法士も国家資格ではないため技術に差が大きくあり、
ある意味危険にさらされながら治療を受けるしかない。

これは西洋医学だけの問題ではなく、
国が国民の健康を守ることにどれだけ心を砕いているかの問題ではないのだろうか?
私たちには診断を「安心して」受けられる機関が、
西洋医学だけではなく東洋医学やその他の療法にもあり、
保険料を納入している者の当然の権利として保険適用された金額で
「安価に」様々な治療を受けられることは望んではいけないのだろうか?

そう言う難しいことは抜きにしても、
じゃあ、実際、私はどうしたらいいのか教えて欲しい。
この痛みを、辛さを、助けてくれる何かはないのだろうか?

けれど、私の心を占める大部分はこういっている。
「あきらめるしかない」
「痛いのが当たり前だと思って生きていくしかない」と。

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肩こり

病気、と言うほどではありませんが、肩こりです。
でも、ずーーーっと、たぶん一日も楽になったことがありません。
整体、マッサージ、鍼灸治療、
アロマテラピー、お香でリラックス、温泉・・・etc、
「すこーし楽」にはなっても、痛くない日は、
30年以上一日も無いと思う。
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肩こり

肩こりを自覚したのは小学1年生のとき。
ランドセルを背負い、授業を受け、肩がこった。
はじめは祖母に痛いと訴えたのだと思う。
そうしたら祖母が私の肩を触って「肩こり」だと教えてくれた。

いつも祖父に肩をもんでもらっていた。
本当は私が祖父の方をもまなければならないと
子どもながらに思っていたが、痛くて痛くてたまらなかった。
肩こりは時々首を這い上がり、目にまで達する。
自分で触っても太い筋がゴリゴリしているのがわかった。

子どものころは手芸や編み物などが好きだったが、決まって肩がこる。
大人になるころには多少賢くなって、
そういったことは必要がない限りしなくなった。
それでも、読書はやめられないが。

今も少し肩を動かしただけでゴリゴリと音がする。
たぶん楽になったことは一度もない。
寝ているとき自分が肩にものすごく力をいれていて、
それがつらくなって夜中に目が覚めることがある。

これも、ずっとこのままなのかもしれない。
いや、きっとずっとそうなのだと、かなり昔にあきらめていて、
肩こりはもう、「気にしない」ことにしている。

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HSP

いや~、おひさしぶりっす!
超超繁忙期が終わると同時に、
腹部の激痛(原因不明だけど、筋肉痛と言う説も?)
&かなりの痛さの腰痛(TT)で、
仕事&家事はかろうじてするもののブログとかは無理でした。
・・・・ゴメンナサイ!!いい訳です!

あまりに痛い腰痛は図書館で偶然借りた、
綿本 彰著「骨盤ヨガ」を読んで解決。
骨盤を引き締めようとして、
間違ったやり方をしていたことが判明。
数日綿本氏のDVDでパワーヨガやったら、
普通の痛みになりました~♪
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HSP

紹介されて知り合った精神科のN医師は、
発達障害の専門家である。
同じ精神科においても発達障害については判らないと言う人も多く、
その中でもN医師は大人の発達障害のケアに力を入れているという特異な存在らしい。

「詳しい検査をしてみないとどんなタイプかわからないけれど、
おそらくあなたもアスペルガー症候群でしょう。」
と言うのがN医師の見解だった。
そこまでは自分で気がついていたことだったので
「ああ、やっぱり。」と思いすっきりしたのだが、
何度かお会いして話を聞くうち、
「あなたはおそらくHSPでしょう。」といわれ、
まったく知らない言葉だったので驚いた。

HSPとは「過敏すぎる人」と訳し、
N医師からいただいた学会で提出されたと思われる資料によると
「周囲に起こっている微妙なことを感じ取るが、
その反面同じ刺激を受けても他の人より強く反応してしまい、
疲れやすく動揺しやすい。」とある。

刺激とは視覚・聴覚などの五感と痛覚などの体性感覚、
記憶・空想などの脳の活動から起こるもの、
そして直感や霊感・第6感などの超感覚などで、
全人口の2割くらいの人があてはまるらしい。

これについてはインターネットで調べても
「ささいなことにもすぐに『動揺』してしまうあなたへ」(エイレン・N・アーロン著)
と言う本の内容しかのっていない。
これがアスペルガー症候群と絡むとどうなるか私もよくわからない。

ただ思い当たることと言えば
私は物心ついた時から体中のどこかが痛くない日がなかったのだが、
それは人より痛覚が過敏なのかも知れないこと、
霊感や直感があること、聴覚がすこしばかり過敏なことだ。
又、確かに疲れやすく、
特にいらいらしたり怒っている人が近くにいると
後から電池が切れたように動けなくなってしまう。

例えば朝など体が冷えているときに
温かいものを飲むと胃に暖かいものが降りていく感覚があったり、
尿意を我慢していると腎臓が痛くなったり、
寝起きに甘いものを食べると脳に暖かい血が流れるように感じる。
医師に話すとどれもありえないことらしいが、
それらもHSPだからなのかもしれない。


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坐骨神経痛

7月はこまめに更新するぞ~!
と、思っていたら、
実家の祖母が急死し、しばらく実家に行っていました。
親族だけで100人以上(--;)
私は本家の長女なので、とにかく忙しかったです。
祖母は大往生。
たくさんの人に見送られて、いい人生だったかな?
おぎゃあと生まれ出たときから、なくなるまでに、
こんなにたくさんの人とのかかわりを持てるなんて、
すごいなぁって思いました。
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坐骨神経痛

最初に腰を悪くしたのは、20歳の頃。
椎間板ヘルニアと診断された。
治療の途中で妊娠出産を経験し、
治らないままかなり長い間放っておいた。
時間的にも金銭的にも治療に通う余裕はなかった。
時折治療を受けたけれど、継続することは難しく、
30歳前には右半身がしびれ、
腰から下は自分のものじゃないように重かった。

3人目を出産する時病院で紹介された鍼灸院に出産後通い、
ひどい痛みはなくなったものの、
本格的に治療するにはそこからさらに数年待たなければならなかった。

一番下の子が保育所に通うようになって時間に余裕ができ、
1年ほど通って、私はやっと自分の足を取り戻した。

右足の外側は常に軽くしびれている。
足の小指はいつも自己主張している。
痛くない状態を、今はもう、思い出せない。

それでも痛さは人並みになった。
以前は痛いと言う感覚すらもてないくらい、
腰の下に機械をつけて歩いているような感覚だった。
階段も手をついて四つんばいで上っていた。
それに比べれば、痛いと感じる今の状況は
本当によくなったと思わずにはいられない。
前よりはすこし、動く範囲が広がっているかもしれない。

私は物心ついた時から常にどこかが痛かった。
肩こりは慢性的だったし、
毎日朝目覚めると体のどこかが痛くて、
いつしか痛いと思うのをやめにした。
言っていてきりがないくらいだったからだ。
私はきっといつまでもこうなのだとあきらめている。
命が終わるそのときが、この痛みと別れられる時なのだと思い、
その日を待ち遠しくさえ感じる。
もちろん、そんな風に思ってはいけないと言う判断力はまだあるようだから、
やはり、こんな痛みはたいしたことはないのかもしれない。

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