「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

うつ病だった頃の私に伝えたいこと

ふと、何気ない会話から、昔のことを思い出した。
うつ病で、起き上がることもできなかった頃の事。
まだ、自分がうつ病と言う病気だとも知らなかった。

「はい、おかあさん」
小さな手。まるい頬。

思い出した途端にぼろっと涙がこぼれた。

***********

当時住んでいたのは窓が木枠でできたボロボロの借家で、
隙間風が、横たわる私の耳にたまった涙をひやして、
その冷たさで夢うつつから引き戻された。
もう、20年前のことだ。

2人目の子を妊娠したばかりだから体調が悪いのだと思っていた。
起き上がることが出来ず、食べることもできず、
妊娠初期ではなるはずのないひどい貧血になった。

夕食だけはふらふらしながらもなんとか作っていた。
当時3歳の息子は食が細く、私もほとんど食べなかったが、
当時の夫に何かをする接点が、夕食を作ることだけだったから。
その夕食も、ほとんどが捨てられていた。

夜もほとんど眠れず、朝は起き上がることもできない。
当時は本当にお金がなく、
結婚前に爪に火を灯すようにしてためた貯金も底をつきそうだった。

食が細い息子のために、常に「黒糖アンパン」だけは欠かさず買っていた。
ほとんど、それしか食べなかったのだ。
歩いて5分の近所の店に、息子の手をひいて休み休み、
15分ほどかけて買いに行っていた。

「おかあさん、おなかがすいた」
息子は数字が好きで計算もできるのに、
言葉が遅く、当時もその程度しかしゃべらなかった。

「あとふたつあるから全部食べていいよ」
そう言うと取りに行き、自分であけて食べていた。
暗くならない限り、それが朝なのか昼なのかわからなくなっていた。
息子が食べているのを確認した私は再び、
眠りとも、現実ともつかないところへ降りて行こうとしていた。

「はい、おかあさん」
息子の声で目を開けると、息子の顔があり、
手に持ったアンパンを差し出していた。
「お母さん、食べて」

息子の優しさと、心配をかけている申し訳なさと、
動けない自分へのなさけなさと・・・・。
涙が出た。
お腹が空いていないからと言っても、差し出したまま動かない。
「じゃあ、はんぶんこしよう」
そういって、二人で分けて食べた。

このシーンは、あれからふとした時に何度も思い出してきた。

*~*~*~*~*~*

あの頃の私に伝えたい。

あなたはうつ病と対人恐怖症と言う病気になっているんだよ。
それがわかるのはもう少し先だよ。
もう少ししたら、その泥の底のような暗闇から出ることをあなたは選ぶよ。
本当はもっと早くそうした方が良かったけど、
それだと娘は生まれなかったからね。

あなたが一人で産んだ娘はお兄ちゃんと同じ、優しくて良い子だよ。
あなたの生きる力になるよ。

「死」を選ばないでくれて、本当にありがとう。
本当によく頑張ったね。

「子どもたちのために」って、
その真っ暗闇から立ち上がったことが、
そこから先のあなたの強さになるんだよ。

正直、そこから先の人生の方が波乱万丈だよ。
大変なことが「これでもかっ!」てくらい起こるよ。

結婚詐欺にあいそうになったこともある。
でも、大丈夫。あなたはケチだから(笑)

今は否定しているスピな力も肯定できるようになるよ。
大好きなおじいちゃん達から引き継いだ力だもの。

全く自分をわかっていなくて、
自分に合わない場所に行って、
無理して働いて、死にそうになって。

その中から、あなたは本当の自分を知り、
感じやすく、揺れやすく、身体もそれほど強くないから、
たくさんの病気を抱えることになるけど、
何度もつまづいて、倒れて、それでもその度に立ち上がり、
自分の足で歩いていくよ。

たくさんのものを失って、
本当の自分を手に入れるよ。

「揺れやすい」は、「弱いじゃない」って知っていくよ。

大変だけど、自分との付き合い方を覚えていくよ。
少しずつだけど、「普通」とは違っても、
本当のあなたを理解してくれる人たちに出会えるよ。

起こること、全部あなたに必用なことなんだよ。
今はそう思えないだろうけど。

だから、その苦しさの中で頑張ってくれて、
本当にありがとう。

本当は聞こえているよね。
だって、聞こえていたもの。
誰かに呼ばれているって、知っていたもの。
「大丈夫」って、聞こえていたもの。

全部、何も問題なく、なんてならないけど(笑)
今の私は全部自分に必要なことだって、思っているよ。

ありがとう。
どうか、がんばって。
負けないで。弱い自分に負けないで。

大丈夫。あなたは、負けないから。絶対に。

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うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 挫折と道標 3

「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア」として書き始めた連載も、
約一ヶ月かかって、これが最終文章、最終UPです。

もしかして全部お読みいただいた方、いらっしゃいます?
(いないこと前提 だって、長いから大変そうだし
本当にありがとうございます。

今回はセルフカウンセリングで一番需要な部分だと思います。
書きながら、過去の自分の感情を思い出し、
鬱になったり、感動して泣いたり、懐かしくなったり。
HSPの私は思い出すだけで何度でもおいしい体質だと思いました(笑)

この後も波瀾万丈は続きますが、とりあえずひと段落。
いつかまた「私の中への旅」の文章をUPするかも、しないかもですが、
その時はよろしくお願いいたします。

この文章にも、
この文章の結末にもたどり着けてよかった。
頑張ってよかった。

沢山の人にありがとうと言う気持ちです。

私は今でも長倉さんの写真を多くの人に見てもらいたいと思っています。
長倉洋海氏HP
--------------
私の中への旅  挫折と道標 3
前回からの続き)

私がやっとそう考えられようになった頃、
長倉さんが釧路で講演会をすると言うので一人で謝りに行った。

長倉さんは拍子抜けするほどあっさりと許してくれたし、
私を気遣ってくれさえした。
釧路までの送料も結局長倉さんが持ってくれることになった。

講演会の後で何人かの人と座談会的に話をする場面があった。
その時長倉さんは直接私にという形ではなかったけれど、
その後の私にとってとても重要になる特別な言葉を言ってくれた。

「自分の写真を見て感動し、その影響を受けて
実際に紛争地へ行って写真を撮ったりする人がいるけれど、
自分は必ずしもそうしなくていいと思う。
自分にとっての写真がそうであるように、
その人にとっての『特別な何か』を見つけてくれれば自分はその方が嬉しい」

その言葉は暗闇から抜け出て作り上げた世界を打ち崩し、
私のとても深い深いところへゆっくりとおさまった。

写真展は当時の私の生きる目標だった。
私を支えるものだった。
二人の子どもを抱え心細い思いでやっと歩く人生の希望の光だった。
けれどそれは一つの問いと背中合わせだった。
「写真展をやったら?次はどうするの?」

それを成功させることはその支えを失うことになる。
私はずっと心の中にあったその問いから顔を背けていた。

長倉さんの言葉を聞いてから、
自分が本当に写真展をやりたいのかどうかわからなくなった。

長倉さんの写真展をやると言う目標を立てそこへ向かって歩いていたはずなのに、
いつの間にか目の前の飛び越えなければならないハードルのように感じていたことに気が付いた。
自分で望んだことの筈なのに。

それは長倉さんの「写真」に匹敵するような「何か」とはとても言えない。
「特別な何か」とは
成功させたら失ってしまうようなものでは、決してない。
当時はうまく言葉にできなかったけれど、
自分以外の「誰か」の評価など関係のない、
それをせずには生きていけないようなものを言うのだと今ならわかる。

私はそれ以降その言葉をずっと心のどこかに持ち続けて生きることになった。
日常に追われながらも探し続けた。
そう簡単には見つからなかった。

その言葉は私の道標となった。

その後私の人生は大きく変換の時を迎え、
様々な事情から写真展どころか活動もあきらめざるを得なくなった。
一時期はまるで反抗期の娘のように、
長倉さんに背を向けていたこともある。

自分なりの「何か」を見つけられない自分が情けなくて、悔しくて。

それでも道標は私の中から消えなかった。

その後何度も私は暗闇にとらわれ、
自分を見つめ立ち上がる過程で「何か」を見つけることになった。
あの時写真展が成功しなかったことには意味があったのだと十数年が過ぎて判った。

そんな特別な道標を持つことのできる人がこの世にどれくらいいるのだろう?

「何か」を見つけられた今ならわかる。

その道標が、実はまっすぐに「自分自身」を指していたことに。
そしてその始まりが、あの暗闇の中にあったことに。
私の中への旅のスタート地点に。
全く気が付かなかったけれど、
暗闇の中で震えていた私の手の中に、実はその道標はあったのだ。

顔をあげて、立ち上がり、歩き出し、
再び転んでも、何度でも起き上がり、
見つけてくれる時を待っていたのだと。

そっと息をひそめて。

(以上、うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア最終UP ありがとうございました)

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うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 挫折と道標 2

私がうつ病などから立ち直る力になったセルフカウンセリングについて、
うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケアとして取り上げています。
私がhttp://wata-mori.jimdo.com/" target="_blank" title="HP「私の中の森」→「">HP「私の中の森」→「私の中の森」→「暗闇」と表現している
全く自分が見えていなかったダメダメだったころのことから書いています。
今月いっぱいかかった連載です。

理屈だけでは自己分析力は身に付かないと私は思います。
今でも結構人生迷子気味の私ですので(苦笑)
自分を見失いがちですが、そういう時こそセルフカウンセリングの出番。
振り返るとセルフカウンセリングはずーーーっと続いているんだと感じます。

今、暗闇の中にいらっしゃる方、そういう方の身近にいらっしゃる方。
縁あってたどり着かれた方。
あなたにも、そういうチャンス、なかったですか?

今回含めあと2回のUP。
今回は一番波乱万丈な部分かな?
よろしければお付き合いくださいませ。

↓私は今でも長倉さんの写真を一人でも多くの人に見てもらいたいと思っています。
長倉洋海氏HP
-------------
私の中への旅 挫折と道標 2
前回からの続き)

次にチャンスがやってきたのはそれから1~2年がたったころだった。
住んでいる自治体に新しくできた若者の地域づくり団体に誘われて、
なんとなくメンバーに加わることになった。
確か何度か集まりに参加した。
そこで長倉さんの写真展をやろうと言う話になった。
私の「うつ病から立ち直り」という話は結構どこでも効果があったのだ。
その時は前回のことがあったので、私は少し慎重になっていた。
それでも地元だから人脈は十分にあったし、その頃にはノウハウにも自信があった。
何より子どもたちに見せるには絶好の条件だった。
会場に予定されていたのは住んでいた住宅から歩いて行ける場所だった。

日にちや会場が決まり、役場の人たちにも挨拶に行き、
今度こそ大丈夫だと思ったところで長倉さんに連絡を取った。
長倉さんは写真を釧路の実家まで送ってくれた。
あちこちに挨拶に行き、協賛金を集めて実行するだけとなった時、
メンバーの一人から電話があった。

「やっぱり写真展はやらないことにしようと思う」

愕然とした。
もう、引き返せる時点ではなかった。

「関係者には自分が謝りに行くから、中止ということにしてくれ」

アスペルガー症候群の特徴として予定していたことを途中で止められると、
パニックを起こし怒りまくると言う特徴があるが、
それを差し引いても、私は怒って当然の立場だったのではないかと思う。

電話を介して激しい口論になった。
私がそこまで怒るのは家族とか、ごく限られた人に対してだけだが、
その時は素の自分をさらして腹を立てた。
けれど話しているうちにだんだんと私は無力感に襲われた。

どんなに説得を試みても、返ってくる答えの向こうにあるのが、
私以外の人達でもう決定してしまった事項だというのがはっきりとわかったからだ。

私はあきらめざるを得なかった。

今度はなかなか気持ちを切り替えられなかった。

長倉さんにも電話をして謝ったけれど、
どうして自分がそうしているのかわからなかった。
他の団体の仲間や先輩たちにも知らせると、
「どうして?」と聞かれたが、その答えを一番知りたいのは私だった。

この時は活動の先輩たちに助言を求めた。
再び、自分がどこにいて何をしているのか全く見えなくなってしまったからだ。

先輩たちは色々な助言をくれた。
慰めたり、「もう一度頑張れ」と励ましてくれたり、
元気のない私を笑わせようとしてくれた。
おいしいものもたくさんごちそうになった。

けれど申し訳ないことに、その時の私はよっぽどショックだったらしく、
先輩たちの言葉がうまく頭に入ってこなかった。
理解したくなかったのかも知れない。

先輩たちを改めてすごいと思ったのはただ慰めるだけではなかったことだ。
共通して「自分の中に答えを探せ」と言ってくれた。
だからこそ、理解できなかったのかもしれない。
自分に非があるとはとても思えなかった。

時間が経って、色々な人の優しさに触れて、
私は「どうしてこの人たちと写真展をやろうとしなかったのだろう」と思った。
多くの人にも「どうしてそれほど親しくない人たちとやろうとしたのだ」と聞かれた。

そこに、答があった。

そして、私に電話をかけてきた人の言葉の中にも。

「自分たちに写真展は必要ない」

それが、すべての答えだ。
「自分たち」の中に、私は含まれていなかったのだ。
私は仲間になろうとしていなかった。

人脈を求め、親しくなっても、心を許していなかった。
功を焦り、失敗を恐れて人に任せることも出来ず、何でも一人でやろうとした。
自分の弱さを見せることが出来なかった。
一人の欠点だらけの人間として、他者と向かい合うことが出来ていなかった。
暗闇から抜け出しても、私は「一人」でいることを選んでいたのだ。

失敗の原因は私にあった。

それ以降私は少しだけ変わったように思う。
人に弱さを見せ、できないことを認め、頼るようになった。
皆で力を合わせて失敗するなら、それでもいいと思えるようになった。
私が変わると所属していた団体も雰囲気が変わったと思う。
私がいることでどこか緊張感があったような気がする。
それがなくなったように感じた。
「仲間」ということを強く意識するようになった。

自閉症の一種、アスペルガー症候群という閉じた自分の世界にいる私が、である。
それくらい、衝撃的な出来事だったのだ。

ここでもやはり、私は当時の自分がアスペルガー症候群だと知らなくてよかったと思う。

「問い」の答は自分の中にある。
そこから自分を見つけ出し、又新たに何かを選び、前に進む。
それは他者、世情、制度、障害、運など自分の外に答えを探していてはできないことばかりだ。

そう納得できたころには、
私は写真展を中止してくれた仲間たちに感謝する気持ちになっていた。

(次回へ続く)

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うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 挫折と道しるべ 1

始めに、今日でHP「私の中の森」が1周年を迎えました。
地味~なアクセス数ですが、
私の望んだ「必要な時に検索をかけてたどり着く」方が多く、
嬉しく思っています。
ご愛顧いただいている皆様、ありがとうございます(^^)

「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア」2013.4.26
としてセルフカウンセリングを取り上げ、6つの文章をのせました。

「暗闇からの旅立ち」では暗闇の中で自分も見えず苦しむばかりのころ、
子どもに異変があり自分探しが始まったこと。
「『私』と言う人間との出会い」では育児書をきっかけに自分の本当の姿に気が付いたこと。
「分解と再構築」ではアダルトチルドレンと言う概念との出会いから
自分を理解していく過程。
「暗闇からの出口」では自分を理解しても抜け出せなかった暗闇から抜け出すきっかけを見つけたこと。
「写真家・長倉洋海氏との出会い」では生きる力を取り戻したときの重要な出会いについて。
「雨の朝の光」では人生の目標を見つけた時のこと。

「挫折と道標」これが最終文章となります。(3回に分けてUPします)
ここにも長倉さんが登場します。長倉洋海氏HP
それだけ私にとって重要な人物なのです。

セルフカウンセリングは自分を理解し、立ち直っただけではためだと私は思います。
どこかに区切りがあるわけではなく、ずっと続いていくものだと。

縁あってここへたどり着かれた皆様。
ありがとうございます。
あと少し、お付き合いくださいますようお願い申し上げます。
------------
私の中への旅 挫折と道標


釧路から帰ってすぐに、私は新聞を広げて地方版のイベントの記事を探した。
片端から電話をかけてボランティアで手伝わせてもらえるようにお願いした。

長倉さんの写真展を開催するためには、
ノウハウと人脈と仲間が必要だと考えたからだ。

それまで一年に10人くらいの人としか話さなかった私が、
3か月ほどの間に100人近くの人と新たに知り合いになった。

自分を知り、分析し理解し、奇跡的な出会いから生きる力を得た。
安っぽいドラマなら、そこでめでたしめでたしなのだが、
人生は、経験上、そうあまくはないと思っている。

どんなに苦労して得た知識も技術も、
実践が伴わなければ何の役にも立たない。

沢山の出会いの中からいくつかの団体に所属した。
図書館のボランティアサークル。
国際的ボランティア団体。
青少年育成を目的としたイベント事務局。
地域リーダーが北海道中から集まっている団体。
自分のベースになっていたのはこれらの団体だが、
他にも頼まれたものには顔を出した。

その他に高校時代演劇をやっていた関係から、
演劇関係のセミナーの手伝いや、人形劇フェスティバルの司会など、
依頼があれば可能な限りほとんど引き受けた。
3年が経過するころには
北海道中の知り合いから頻繁に電話がかかってくるようになっていたし、
「お名前だけは聞いたことがある」と人から言われることも増えた。

活動を始めて少し経つと、
私は可能な限り自分の子どもたちを一緒に連れて行くようにした。
その理由の一つはそういう活動をしているのが、
たいてい男性か独身の女性ばかりで、それではそういう団体がいつか先細り、
偏った見方のものになるのではないかと思ったからだ。
当時は子どものいる女性ばかりの団体でさえ、
子どもを預けて参加しなければならない雰囲気があった。

もう一つの理由は自分がとても不完全な人間だと言う自覚があったからだ。
この不完全な私だけを見て育つのは子どもにいい影響を与えないと思った。
そういう活動をしている人たちは男女ともに素敵な人たちばかりだったので、
子どもたちに会わせてあげたかった。

残念ながら子どもたちは小さかったから、当時の記憶がほとんどないらしい。
けれど大人たちが一円の得にもならないことに真剣に楽しく取り組んでいる場にいたことが
子どもたちの自然な感覚として身についているように思う。
例えば何かを準備する時や片づけるときは自分も含めた全員でやるのが「当たり前」だと言う感覚だ。
むしろやらない人達を見て、何故やらないのか不思議がっていた。

沢山迷惑をかけたと思うが、いつか子どもたちが世の役に立つ人間になることで、
巡り巡って恩返しをしてくれると私は信じている。

私がそういう活動を始めた目的が
私の人生を変えた長倉さんの写真展を開きたいからだと言う話もあちこちでしていた。
たいていの仲間が応援してくれたし、協力を約束してくれた。

だが、長倉さんの写真展をやろうと言い出したのは、
それらの仲間たちとは全く違う人たちだった。

活動を始めて1年ほどたったころだと思う。
私は人の紹介である団体を手伝うことになった。

顔合わせの会議に行ったときに、瓢箪から駒という感じで、
長倉さんの写真展をぜひやりましょうと言うことに決まった。
そう、決まったのだ。
確か大まかな日にちと会場も決まったはずだ。
まさかそこでそういう話になるとは思っていなかったので、
狐につままれたようだった。
代表者はじめメンバーの方々が乗り気だったので、
次第に私も「夢がこんなにも早くかなうなんて!」と有頂天になり、
長倉さんに連絡を取り、ほかの団体のメンバーにも知らせた。

ところが1週間くらいしてから、
代表者から電話があり、
「ほかの内容に決めたから写真展はやらなくなった」と一方的に断ってきた。
もう各方面へ根回しを始めていたので私は憤ったし、がっかりした。
けれどそれほど付き合いの深い人たちではなかったし、
一方的に決められてしまってはこちらからはどうしようもなかった。

その時は「そんなに早く、うまくいくわけが無い」と、
すぐに気持ちを切り替えられたように記憶している。

(次回へ続く)

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うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 雨の朝の光 2

「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア」2013.4.26参照として
私がうつ病などから立ち上がる力となったセルフカウンセリングについて書いています。
自分を知ることは自己を肯定することにつながり、
それが立ち上がるきっかけになると私は経験上思います。

普通、カウンセリングは分析して自分を理解したところで終わりと考えがちですが、
大切なのはその先だと私は考えます。

でも、まあ、思い癖ってなかなか完全には治らないんですけどね~。
と、つい最近反省したばかり

今回はHSPの能力についても書いていますので、HSPの方は是非読んでいただきたいです。
HSPは苦しいばかりの力ではありません。
http://wata-mori.jimdo.com/" target="_blank" title="HP「私の中の森」TOP">HP「私の中の森」TOP→「私の中の森」→「HSP」「HSPについて」各文章参照)
むしろ自分を助けるための能力にもできるのです。

長倉洋海氏HP 
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私の中への旅 雨の朝の光
前回からの続き)


次の日の朝、ホテルのベッドで目覚めた私は、
目覚めたままの姿勢で、突然思った。

「私も、やろう」

良く「天からの啓示」という表現があるが、
まさしくそんな感じだった。
普通のビジネスホテルの一室がキラキラ輝いて見えた。

うまく言葉にできないが、
前日に私が出会った人たちがやっているような素敵なことを、「何か」やろうと思った。
目覚めたばかりだと言うのに体中からエネルギーがあふれてくるようだった。

まず、二人の子どもたちに長倉さんの写真を見せてあげたい。
私が出会った素敵な人たちに会わせてあげたい。

「そうだ、長倉さんの写真展を、私もやろう」

起き上がった時には、もう、そう決めていた。

その頃、神戸で痛ましい十代の少年による殺人事件が起こったばかりだった。
育て方で人がゆがんでしまうと学んだ私は、
自分も子供たちをそんな風にしてしまうのではないかと恐れていた。
きっと多くの親がそう思っただろう。

「女手一つで育てられるとろくなもんに育たない」
離婚の時に言われた言葉は呪いのように私をおびえさせていた。

だからこそ、子どもたちに、
長倉さんの写真を見せてあげたいと思った。
写真集とかではなくて、
私を生き返らせてくれた、大きなパネルになった写真を
私が企画した写真展の会場で見せてあげたい。

子どもの心を育てる、豊かにする、
そういう何かをこれからして行こう。

当時の私はスピリチュアルなことも神仏も否定していたが、
思わずこの世の見えない何かに感謝せずにはいられなかった。
胸が熱くなり涙がこぼれた。
それは自分を「分解」していた時に流した涙とは、
全く違うものだった。

帰路の車窓からは、
灰色の空と、とても細かな雨にぬれる町の景色が見えた。
それらを見ながら私は再び感動していた。
「世界とは、こんなにも美しかったのだろうか!」
全てのものが光り輝いて見えた。
命の輝きにあふれていた。
どこにでもある木々の緑色の葉の、なんと美しかったことか。
普通なら憂鬱になるような雨の日の、あの朝の光を私は今も忘れていない。

そこはもう、暗闇ではなかった。


当時を振り返ってみると、
私はHSPという能力を持って生まれたことに感謝せずにはいられない。
その頃はまだ概念も提示されていなかったし、
自分が過敏だと言う自覚もなかったけれど、
言われてみれば確かに「厄介な」特徴と言えると思う。
それでも深く感じる心がなければ長倉さんの写真にそこまで感動できなかったかもしれないし、
その後の出会いもなかった。
私に次の道を示してくれたのはこの「過敏」という性質だと思う。
誰かの心に感じ入るこの心を持てたことを私は誇りに思っている。


それから数ヶ月後、釧路へ別な資格試験を受けに行ったとき、
打ち上げで知り合った女の子と一緒に食事をした。

その時彼女は私に一本のカセットテープをくれた。
当時はまだカセットテープは現役だった。

それにはキース・ジャレットというジャズピアニストの
「ケルン・コンサート」が録音されていた。
キース・ジャレットがケルンでのコンサートの時に即興で弾いたと言う曲だ。

それ以来、私は釧路の景色を頭に思い浮かべるたび、
必ず「ケルン・コンサート」がBGMとして流れ出す。
彼女とは今でも年賀状のやり取りをしているし、
何度も聞いたそのカセットテープも大切に持っている。

曇り空。
潮のにおい。
あの雨の朝の光。
ケルン・コンサート。

それ以来、釧路は私にとって特別な街になった。

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