「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

問い2

今まで書いてきたカテゴリ・スピリチュアルの文章は
すべてここにつながります。
(参考Ron スピリチュアル 記憶 釈迦と龍の船 オーラ 記憶2
スピリチュアルのエピソードはまだたくさんありますが、
森歩きの文章はスピリチュアルに関してはこれで最後です。
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問い2

私は受け入れるまでも無く、
自然に「スピリチャル」と言われる物事を
普通にそこにあると知っている。

神がそこここにいると知っている。
輪廻転生もあると知っている。
その記憶がある。
体と、精神と、
魂が私を構成していることは本で読み
言葉として学んだけれど、
子供のころからそうだと知っていた。
魂だけだったときの記憶もある。
出生のときの記憶もある。

体を持たぬ霊魂がこの世にいることも知っている。
「神」や「仏」と呼ばれるものの姿を見たこともある。
時間や空間は私達が思っているようなものではないことも知っている。
私はつらい人生ながらも、
目に見えぬ多くのものたちに助けられて生きていたと感じている。

霊媒やチャネリングなど、
見たことは無くてもあるだろうと思っている。
多くの人が受け入れがたいと感じ、
書物や導き手によって教えられ
少しずつ学んでいくことを、
私は普通に受け入れてきた。
いや、あると知っていた。

それなのになぜ、私は心の平安が得られないのだろう。
こんなにも揺れ動くのだろう?
こんなにも迷うのだろう?

そういったことを受け入れた人々は皆、
平和で静かでいられると言われているのに。

私には一体何が足りないと言うのだろう?
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記憶2

カテゴリ・スピリチュアル記憶2011年8月26日の続きの文章です。

私は出産予定日より10日ほど遅れて仮死状態で生まれたそうです。
陣痛が始まってから3日かかったそうです。
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記憶2

私は空間に漂っていた。
私はとても疲れていて、
ゆっくりと休みたいと思っている。
が、誰かが、「もう行かなければ」と促した。

私は、まだ行きたくないと思い、漂っていた。

しばらくして、
それがどれくらいの時間だったかはわからないが、
また、「まだ行っていないのか。早く行きなさい。」と、促された。

気がつけば、私は暗い空間に体を丸めていた。

また、促される。
私はまだ行きたくないと思う。

「もう、行かなければ!」と、誰かが私の背を無理やり押した。
暗闇の向こうに丸い明るい光があり、
私はごろごろと転がり落ちた。

次の瞬間、と、私は感じたのだが、
気がつけば私は仰向けに寝かされていて、足元に現在の両親が立っていた。
それまでの私の体ならぶつかっていておかしくない、近い位置に立っているので、
私は足を伸ばし、何度かけってみようとするが、届かない。

父が「よく足を動かすな」と言い、
母が何か答えている。
そして、母が私の額やまぶたを柔らかくなでながら、
「もう一度寝なさい。」と言う。

私は「ああ、そうか。」と、心の中で思いながら眠りに落ちた。

それが、私が魂だったときの記憶と、
出生のときの記憶である。
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オーラ

オーラを見たがる人や知りたがる人がよくいますが、
私にはまぶしいものにしか見えませんでした。
これは見たときの事を書いた文章です。
スピリチュアルなことは自分には関係ないと思っていた頃もありました。
(カテゴリ・スピリチュアル「スピリチュアル」2011,7,21参照)
何故見せられるのか?それが知りたい今日この頃です。
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オーラ

ある夜、私は二人の子どもに挟まれて眠ってしまっていた。
あまりにもまぶしい光に照らされて、私は目を覚ました。
その日は早く寝ようと思って部屋のあかりを消して寝たので、
夫がつけたのだと思い、目を開けると、天井の照明器具が目に入った。
蛍光灯はついていない。
オレンジ色の豆電球がかすかに光っている。
よく見なければ分からないほど、部屋の中は強い光で照らされている。
自分が枕もとの読書灯をつけたまま眠ってしまったのかと思い、
枕元を見てもついていない。
そこへ夫が部屋に入ってきた。
部屋の中を歩き回っている。
よく見るとその光は夫に合わせて動いている。
私はわけがわからず、目を閉じてみてもその光は消えない。
ふと、私の両隣からも光が発しているのに気がついた。
娘達が光っている。
そこで、夫も光を発しているときがついて、
「ああ、これがオーラか。」
と、思った。
そして即座に、
「こんなまぶしいものなら見えなくて良い。」
と、思ってまた目を閉じて眠った。

それ以来、オーラを目にすることはほとんど無い。
時折、葬儀や、神社などで目にするくらいだ。

私には色の種類までわからない。
とにかくまぶしく見えた。
時折、霊感を欲しがる人がいて、
オーラを見たがっていたりするが、
私は見えてもそんなにいいものでもないと思う。
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釈迦と龍の船

いわゆる霊感と言うものがあっても、
私がヘタレなせいか幽霊など、怖いものは見えません。
(いや、見えることもあったり、
感じたりもするけど、気になるほどではありません)
どちらかと言うと龍やお釈迦様などが見えたりします。
(カテゴリ・スピリチャル「Ron」20111年5月18日参照)

霊感の強いいとこには強く守られていると言われました。
が、私はどんなことが起こったか?より、
それをどう捉え、私がどう感じるか?のほうが大事だと思います。
そこに、私の人間性が現れていると思うからです。
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釈迦と龍の船

それがいつの季節だったかわからない。
私は、スピリチャルな物事を否定と肯定、
いや、受け入れるか、拒否するかの狭間にいた。

当時まだ小学生だった長女を剣道の練習に連れて行くため、
車で送っていった夕方のことだった。
晴れた日で、西の空が赤くなり始めた時刻。
長女は車に乗ったとたん、かくん、と眠ってしまった。
思えば、私がそういう体験をするときはほとんど長女と一緒だ。

車で走り出してすぐに、
「あ、空に何かいる。」
と、思い、車を走らせつつ空を見ていた。
空は一見変わりないように見えたが、
はっきりといつもとは違うことが判る。
なにがどうと、言葉にするのは難しい。
そういうものは理屈を離れたところにあるのかも知れない。

私の住む高台から下る坂の途中からは、
とても美しい景色が見える。
広々とした平野の向こうには、
視界の端から端まで高くそびえる山脈がつらなり、
それだけで神々しい景色と言える。
が、その日は山脈の上部に雲が厚くかかり、
その雲が、まるでもう一つの陸地のように平らになり、
夕焼けで珊瑚色に染まっていた。

はじめに目に付いたのは視界の右端に、
龍の頭部型の船首を持つ船のようなものが見えた。
瞬間的に船だとは思ったが、
その龍型の船にははっきりと魂が感じられた。
そして、平らな雲の陸地をたどり左側に視線を移すと、
二人のお釈迦様がいた。
一人は立ち左手を胸の前、右手を顔の横に上げていた。
もう一人はその前にひざまずき、頭をたれていた。
私は神道の神主の家系に生まれたし、
仏教をはじめとする哲学や思想、美術などに興味がまったく無かったので、
それが何を意味するのかわからない。

それを見た瞬間、私は、
「うわっ、見ちゃった。」
と、思い、
立っているほうのお釈迦様も、
「わ、見られちゃった。」
と、言って一瞬のうちに風に乗って消えてしまった。
私とそのお釈迦様たちの距離は何十キロメートルもあったはずだが、
その意思のようなものは距離を隔てていないかのように伝わってきた。
立っていたほうのお釈迦様が消えた瞬間、
もう一人のお釈迦様も形はあるものの、
魂を持たぬものになったように思う。
更に右手側、
少々手前には鳳凰が飛んでいた。

メンタルヘルス的な見方をすれば、
アスペルガーの私は精神的におかしくなっていて、
そういう幻覚を見やすくなっていたともいえるかもしれない。
すべての物事は、視点をどこに置くかによって意味が変る。
それが、幻覚なのか、何かの啓示なのか今も意味はわからない。
しかし私にとっては、あまりにリアルで、
気のせいなどとはとても思えない出来事だった。

私はそれをただ目の前で起こった出来事として、
意味などを考えず受け入れた。
受け入れようとした、では無く、ただ受け入れた。
私が精神を病んでいたのか、
スピリチャル的に特別な意味があるのかそんなことはどうでも良かった。
「あったことは、ただ、あったことに過ぎない。」
それは、春に花が咲き、
秋に山々が赤く染まるのと同じ出来事でしかないのだ。
そして、ここに、ただ私が存在するのと、同じことだ。

スピリチャル的なことを肯定するにはそれからまたしばらくかかったが、
今、あの出来事を振り返って、
私は今の私につながるとても大切な感覚を得たと感じている。
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記憶

今日はカテゴリ・スピリチュアルの文章デス。
普段は怪しい人だと思われるので、
決してスピリチュアルの「ス」も出さないようにしています。

先日法事があって、いとこ連中は皆スピリチュアルなので、
そういう話をたくさん出来て楽しかったです。

そうだ、ご意見はいらないけど(笑)
ご質問等ありましたら、
メールフォームからメールくださいね。
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記憶

私は畳の上にひかれた布団の上で横たわっている。
敷き布団は厚く上質のものだ。
その肌触りも覚えている。
畳はまだ緑色が美しいが、
それがたたみ独特のにおいで部屋を満たしていたかは判らない。
布団の右手には一面に障子があり、
障子紙が昼の光で白く明るく見える。
その向こうには庭があると知っている。

頭側と左手の壁には一面にふすまがあり、
その上部には欄間がある。
欄間には御簾がかかっている。
豪奢なものではなく、
とてもシンプルな、それでいて上質のものだ。

足元の壁には廊下へ続くふすまがあり、
今、その向こうへと、
木の手桶を持った着物を着た人が歩み去ろうとしている。
その人が女性か男性かはわからないが、
私はその人に何か声をかけようとした。
が、かけられないまま、私は息絶えた。

私は男性であったと思う。
また、その場所はなぜか神社に関係する場所だったと思っている。

それが、私の前世の記憶と思われるものである。

私は時々、ふと思い出しては、
あの時、私はなんと声をかけたかったのであろうかと思う。
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