「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

スピリチャル

お元気ですか?
暑いですね。
台風が来ている地域の方、大丈夫ですか?

私はなかなか疲れが抜けないし、
腰は痛いし、だるいし・・・・(^^;)
でも、来週あたりから、超超超多忙になりそうなので、
家庭菜園のお世話がんばってますよ。
いや~、もう、草ぼうぼう(笑)

↓今回は祖母の葬儀で久しぶりに会ったいとこ達と
この手の話をたくさんしたので、
この森歩きを選んでみました(*^^*)
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スピリチャル

私の父方の親族は強弱の差こそあれ皆霊感があり、
それが普通のことだった。
たとえ目には見えなくても幽霊は普通にいるし、
神も仏もキリストさんもみんなお前を守ってくれる良いものだから
手を合わせることを忘れてはいけないと言われて育った。

私の場合は金縛りも、幽霊も、予知夢も経験していたし、
何者かが背中の肩甲骨の間辺りから出入りするような感覚もあった。
だが、高校を卒業する頃から霊感といったものを否定し始めた。
霊感を振りかざし人を脅かすだけの人達にうんざりしていたからだ。

それを肯定できたのはほんの数年前、
丁度スピリチュアルブームの頃だった。
私の趣味の一つは読書なのだが、ある年、
「スピリチュアル」をテーマに本を読むことにした。
それまでの間にも幽体離脱や、予知や、
龍を見るといった体験をしていたが、
ひたすら「気のせいだ」と思おうとしていた。
逃げ切れないほどそういった体験が身の回りにあり、
ここいら辺で一度正面から向き合ってみようと思った。
又、「スピリチャル」と言う一つのテーマで書かれている
本の共通点と相違点を比べてみたいという好奇心もあった。

面白かったのは日本人が書いた本は
「霊とは怖いものであり、追い払わなくてはならない。」
と書かれているのが多いのに対し、
海外の本は霊が家族にメッセージを送ったり
助けたりといった暖かい話になっていたり、
チャクラや瞑想、オーラ、
UFOからのメッセージといった内容のものが多かった事だ。
私は人がこの世に生まれた意味や死後の世界や
魂そのものについて書かれたものを中心に読んだ。

しかし、本の内容にはまったく関係なく、
ある日すとんと「そういうこともありでも良いか。」と思えた。

スピリチャルな現象をアスペルガー症候群という視点で言えば、
統合失調症的な症状の一つの妄想や幻聴と言うことが出来るし、
HSPと言う視点で言えばHSPの特徴のひとつ超感覚過敏と言うことが出来る。

こういった現象を盲信し何かにつけ
霊現象に結び付けようとする人もいれば、
非科学的で話す価値のないものと切り捨てる人もいる。
どちらも両極端だが、発想は同じ、
考えようとしないということである。
霊現象だというならどのような仕組みで何故それが起こっているのか教えて欲しい。
非科学的だと言うなら、私の身に起こるこれらの現象について
「何故起こるのか?」説明して欲しい。

一説によると脳科学が発達すればわかる日が来るかもしれないそうだ。
そのときはぜひ、霊的なことにタブーと言うものを設けないで
すべてにおいて解明して欲しい。
タブーを儲け、科学と非科学の間に線を引くことは
その分野に限界を設けることである。
それではアニメを普通に見て育ってきた現代の若者には
科学が魅力のないものに映ると思う。
優秀な若者が科学ではなく
アニメーションやゲームの世界に入っていくのは
そこにタブーが少ないからなのではないだろうか?
それらは「非科学」ではなく、
今はまだ解明されていない「未科学」として研究し、
科学の地平を切り開いてほしいと切に願っている。

追記
その後、更に色々な本を読んで、
科学の最先端にいる人ほど、
この科学では説明できない領域を解明しようとしていることを知った。
この世のすべてはいつか解明できる。
すべては同じ、一つのもの。
すべて、この世に存在するもの。
たとえインチキがあっても、必ず暴かれる。
だから、「ありえないこと」はありえないのだ。
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坐骨神経痛

7月はこまめに更新するぞ~!
と、思っていたら、
実家の祖母が急死し、しばらく実家に行っていました。
親族だけで100人以上(--;)
私は本家の長女なので、とにかく忙しかったです。
祖母は大往生。
たくさんの人に見送られて、いい人生だったかな?
おぎゃあと生まれ出たときから、なくなるまでに、
こんなにたくさんの人とのかかわりを持てるなんて、
すごいなぁって思いました。
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坐骨神経痛

最初に腰を悪くしたのは、20歳の頃。
椎間板ヘルニアと診断された。
治療の途中で妊娠出産を経験し、
治らないままかなり長い間放っておいた。
時間的にも金銭的にも治療に通う余裕はなかった。
時折治療を受けたけれど、継続することは難しく、
30歳前には右半身がしびれ、
腰から下は自分のものじゃないように重かった。

3人目を出産する時病院で紹介された鍼灸院に出産後通い、
ひどい痛みはなくなったものの、
本格的に治療するにはそこからさらに数年待たなければならなかった。

一番下の子が保育所に通うようになって時間に余裕ができ、
1年ほど通って、私はやっと自分の足を取り戻した。

右足の外側は常に軽くしびれている。
足の小指はいつも自己主張している。
痛くない状態を、今はもう、思い出せない。

それでも痛さは人並みになった。
以前は痛いと言う感覚すらもてないくらい、
腰の下に機械をつけて歩いているような感覚だった。
階段も手をついて四つんばいで上っていた。
それに比べれば、痛いと感じる今の状況は
本当によくなったと思わずにはいられない。
前よりはすこし、動く範囲が広がっているかもしれない。

私は物心ついた時から常にどこかが痛かった。
肩こりは慢性的だったし、
毎日朝目覚めると体のどこかが痛くて、
いつしか痛いと思うのをやめにした。
言っていてきりがないくらいだったからだ。
私はきっといつまでもこうなのだとあきらめている。
命が終わるそのときが、この痛みと別れられる時なのだと思い、
その日を待ち遠しくさえ感じる。
もちろん、そんな風に思ってはいけないと言う判断力はまだあるようだから、
やはり、こんな痛みはたいしたことはないのかもしれない。

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