「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

HSPの皆様へ

一ヶ月近く続いた連載が終わりました。
お読みいただいた皆様ありがとうございます。
(「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅」の各文章
←サイドバー カテゴリ「うつ病・精神疾患」参照)
お読みいただいていない方も、
いつかあなたにとって必要な時が来たらぜひお読みくださいますよう
お願い申し上げます。

「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア」は
HSPやうつ病、何らかの恐怖症をお持ちの方々から相談を受ける中で、
感じたことをもとに書き始めました。
(http://wata-mori.jimdo.com/" target="_blank" title="HP「私の中の森」TOP">HP「私の中の森」TOP→「私の中の森」→「HSP」他「HSPについて」参照)

2013.4.26の記述にもある通りです。

連載中ずっと私に相談してくださった方々のことが気になっていました。
「自己肯定感がなく自己分析できない」と私が勝手に評価したことに対して、
きっと傷ついていらっしゃるのではないかと思ったからです。

無神経だったと思います。

本当に申し訳ありません。
ご相談いただいた以外の方々も気を悪くされた方もいらっしゃるかもしれません。
重ねてお詫び申し上げます。

ご相談いただいた方々には
メールアドレスのわかる方に限り、メールを差し上げました。
ご不快かもしれませんがお読みいただけたらと思っています。

この連載中強く思ったことがあります。

以前からHSPの能力は苦しいばかりではないと思っていましたが、
むしろ、必要で、自分を助けるためにあるのだと。

もちろん、不便と思えばいくらでも思い当たる節はあります。

けれど私はこの力に助けられました。
(「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 雨の朝の光 2」2013.5.22参照)
それだけではなく、その後も自分の心に振り回されながらも、
様々なことを感じとる心があったからこそ、
何度も立ち上がることができました。

よく「メンタルが弱い」と言う言い方をします。
ちょっとしたことで泣いてしまったり、動揺したり。

でもそれは「心が弱い」と言うことではないと私は思います。

私はたぶん感受性が強い方だと思います。
けれど、心が弱いのだとしたら、
こんなに挫折だらけの人生を生き抜いてこられなかったでしょう。
(実は他にも色々波乱万丈だったのですが、
シャレにならないので書けません

「感じやすい心を持っている」
と言うことは
「人間として弱い」と言うことではありません。

むしろその感受性を持ちながら生きていることで、
人間としての強さを証明しているのだと思います。


「過敏」と言うことは、「=弱い」ということではありません。
心が弱いわけではありません。

攻撃することで自分を守る必要はないのです。

また、必要以上に自分を卑下しなくていいのです。


私に相談してくださる方々はとても繊細で、
思いやりのある方ばかりです。
どうして「過敏さ」にそんなに悩まなければならないのだろうと
いつももどかしさを感じます。

もっと、人としてとても素敵な自分を見てほしい。
そう、強く思いました。

この連載を書きあげて一番初めに思ったのは、
このメッセージを書こうということでした。

私はアスペやHSPの二次障害と言える状態になりましたが、
でも、それを弱さだとは思えませんでした。
「自分、がんばったじゃん」と素直に思えました。


「過敏さ」は「弱さ」ではないし、
人として劣っているわけではありません。

それを、どうしても伝えたかったのです。

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うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア 私の中への旅 挫折と道標 3

「うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア」として書き始めた連載も、
約一ヶ月かかって、これが最終文章、最終UPです。

もしかして全部お読みいただいた方、いらっしゃいます?
(いないこと前提 だって、長いから大変そうだし
本当にありがとうございます。

今回はセルフカウンセリングで一番需要な部分だと思います。
書きながら、過去の自分の感情を思い出し、
鬱になったり、感動して泣いたり、懐かしくなったり。
HSPの私は思い出すだけで何度でもおいしい体質だと思いました(笑)

この後も波瀾万丈は続きますが、とりあえずひと段落。
いつかまた「私の中への旅」の文章をUPするかも、しないかもですが、
その時はよろしくお願いいたします。

この文章にも、
この文章の結末にもたどり着けてよかった。
頑張ってよかった。

沢山の人にありがとうと言う気持ちです。

私は今でも長倉さんの写真を多くの人に見てもらいたいと思っています。
長倉洋海氏HP
--------------
私の中への旅  挫折と道標 3
前回からの続き)

私がやっとそう考えられようになった頃、
長倉さんが釧路で講演会をすると言うので一人で謝りに行った。

長倉さんは拍子抜けするほどあっさりと許してくれたし、
私を気遣ってくれさえした。
釧路までの送料も結局長倉さんが持ってくれることになった。

講演会の後で何人かの人と座談会的に話をする場面があった。
その時長倉さんは直接私にという形ではなかったけれど、
その後の私にとってとても重要になる特別な言葉を言ってくれた。

「自分の写真を見て感動し、その影響を受けて
実際に紛争地へ行って写真を撮ったりする人がいるけれど、
自分は必ずしもそうしなくていいと思う。
自分にとっての写真がそうであるように、
その人にとっての『特別な何か』を見つけてくれれば自分はその方が嬉しい」

その言葉は暗闇から抜け出て作り上げた世界を打ち崩し、
私のとても深い深いところへゆっくりとおさまった。

写真展は当時の私の生きる目標だった。
私を支えるものだった。
二人の子どもを抱え心細い思いでやっと歩く人生の希望の光だった。
けれどそれは一つの問いと背中合わせだった。
「写真展をやったら?次はどうするの?」

それを成功させることはその支えを失うことになる。
私はずっと心の中にあったその問いから顔を背けていた。

長倉さんの言葉を聞いてから、
自分が本当に写真展をやりたいのかどうかわからなくなった。

長倉さんの写真展をやると言う目標を立てそこへ向かって歩いていたはずなのに、
いつの間にか目の前の飛び越えなければならないハードルのように感じていたことに気が付いた。
自分で望んだことの筈なのに。

それは長倉さんの「写真」に匹敵するような「何か」とはとても言えない。
「特別な何か」とは
成功させたら失ってしまうようなものでは、決してない。
当時はうまく言葉にできなかったけれど、
自分以外の「誰か」の評価など関係のない、
それをせずには生きていけないようなものを言うのだと今ならわかる。

私はそれ以降その言葉をずっと心のどこかに持ち続けて生きることになった。
日常に追われながらも探し続けた。
そう簡単には見つからなかった。

その言葉は私の道標となった。

その後私の人生は大きく変換の時を迎え、
様々な事情から写真展どころか活動もあきらめざるを得なくなった。
一時期はまるで反抗期の娘のように、
長倉さんに背を向けていたこともある。

自分なりの「何か」を見つけられない自分が情けなくて、悔しくて。

それでも道標は私の中から消えなかった。

その後何度も私は暗闇にとらわれ、
自分を見つめ立ち上がる過程で「何か」を見つけることになった。
あの時写真展が成功しなかったことには意味があったのだと十数年が過ぎて判った。

そんな特別な道標を持つことのできる人がこの世にどれくらいいるのだろう?

「何か」を見つけられた今ならわかる。

その道標が、実はまっすぐに「自分自身」を指していたことに。
そしてその始まりが、あの暗闇の中にあったことに。
私の中への旅のスタート地点に。
全く気が付かなかったけれど、
暗闇の中で震えていた私の手の中に、実はその道標はあったのだ。

顔をあげて、立ち上がり、歩き出し、
再び転んでも、何度でも起き上がり、
見つけてくれる時を待っていたのだと。

そっと息をひそめて。

(以上、うつ病・恐怖症のホリスティック医療ケア最終UP ありがとうございました)

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