「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

自分を制限してしまう行動癖になった前世トラウマ

誰に強制されたわけでもないのに、
自分で自分の行動を制限してしまう行動癖、思い癖
はありませんか?

私にはありました。
別に監禁されているわけではないけれど、
買い物、外出、友達と会うなどの普通に「しても問題のない行動」を制限してしまう。

心が軟禁状態になっているようなもの。

私の行動にいろいろ言う人がいたとしても、
「私はこうしたい!」と断って自分の好きなように行動していいはずなのに、
何故かそう言えない。
するとしたら「○○だから」と色々理屈をつけなければ出来ない。

これ、原因は色々考えられると思います。
アダルトチルドレンの問題、それまでの交際によるトラウマ等々。
私もそうだと思っていました。
また、私の行動を制限する人がいるからだと。

でも、先日師匠にソウルナビをしてもらっているときに前世で受けたトラウマも原因だとわかりました。

「心の問題だからと言って心だけが原因だとは限らない」
いつもそう書いていますが、今回は魂の傷も関係していたというお話です。

**********

私の遊女だった時代の前世トラウマ

日時 2015年2月12日
性別 女性
年齢 10代後半~老人
場所 関西地方
年代 江戸時代?
生前 遊女・太夫→妾

ソウルナビを開始して出てきたのは男性。
細く貧相。出っ歯。お調子者な感じ。明石屋さんまさんに似ている。
彼は十手持ち。黄色い縞の着物。

「来るのまってたで」
私に嬉しそうに笑う。

次に見えて来たのは立派なお座敷。遊郭。おそらく関西。

建物の二階。きれいな屏風。並ぶ御馳走や酒。
きれいな遊女・太夫。これが私の前世。
黒地に赤い刺繍の着物。
きれいなふの入らない鼈甲の簪。
とてもきれい。かむろが二人くらいいる。

遊郭の入り口から正面に大階段。
その奥にある広い板の間。
階段の上が吹き抜けになっていて、回廊が取り囲んでいる。
その周囲に大小の御座敷。
回廊に取り付けられた朱塗りのぼんぼりに明かりがともされ、とてもきれい。はなやか。

それに重なるようにその場の昼間のしんとした、どこかうすら寒いような情景も見える。

男は太夫が遊郭の外へ出た時に、何か困ったことがあった時に助けたらしく、呼ばれてもてなされている。
遊郭の男主人も礼を述べている。

そこまで出てきたところで師匠がきいた。
「名前は?」

はじめ、梅、という字が浮かんだ。
「小梅・・・・?」
だが、違う。
それは、私の名前ではない、と思う。

そこで着物が頭をかすめ、名前を思い出す。
「・・・・ばいこう・・・・・梅に紅で、梅紅」
小梅はおそらく、かむろ時代か、その前の名前。
黒地に見えた赤い刺繍は赤い梅の柄。

私はほとんど話をしない。
三味線や歌、踊りなど芸事が得意なのと、その美貌で売れっ妓だった。
あまり笑わないからこそ、笑わせたい、笑顔を見たい、
声を聴きたいと言う遊びなれた金持ちの旦那衆に人気で太夫になった。

「それからどうなった?」

次に見えて来たのは竹林の中に続く細い土の道。
その奥にぽっかり空いた場所にこぎれいな囲いのある家。
そこを歩いて行く白髪交じりの中年~初老の男。
私を買い上げ、旦那になった男。
どこかの大店の主人。
息子も嫁を貰い、あとを継いでいるが、この旦那が今でも取り仕切っている。
私は妾となったようだ。

そんなところに私を囲ったのは私を誰の目にも触れさせたくないから。
家事をする女中が独り。若い女。
私はずっと家の中にいて三味線を弾いている。ほとんど外へは出ない。

相変わらずほとんど話さない。女中にはやさしい。
女中以外に庭仕事などをする老人がひとり。
部屋からは庭も見える。灯篭や小さな池。竹垣にそわせた生垣。

最初に出てきた若い男が囲いの向こうから私を見ている。
私はそれに気が付いている。
が、そちらは向かない。静かに三味線を弾くだけ。

場面が飛んで、その男が数人の男に竹林の近くに流れる川の石の河原に連れて行かれ殴られている。
その男たちを雇ったのは旦那。
顔中が腫れあがり、立てなくなっている。
だが、死んだわけではない。
しばらくしたら立ち上がり、二度と私のところへは来なかった。

その男が私を勝手に見つけて追いかけて来ただけなのだが、旦那は嫉妬して腹を立てたのだ。

私は旦那にひもで縛られてつるされ、ササラで叩かれ、折檻された。

私はそれから自分の意思で外へ出ることはなかった。
それまでもそうだったが、なおさらに。
軟禁状態と言っていいだろう。

次に見えたのはそれから数年後。
頭巾をかぶり、女中をともにして、竹林の奥にある寺へお参りに行く姿。

旦那は死んだようだ。
家屋敷と、手切れ金をもらったようだ。
毎日のように寺へ行く。
誰に言われたわけでもないのに、寺へしか行かない生活。

そのまま何事もなく、年を取っていく。
白髪の老婆になっても上品できれい。
そのまま静かに死んだ。

特に大きなことの無い静かな人生のように思えた。
私の前世にしては普通だと思った。
「何のために出て来たのか?」と師匠と二人で話していた。

*~*~*~*~*~*

はじめは取り立てて珍しくもない、普通の人生のように思えました。
まあ、誰でも前世でそれくらいの苦労はしているだろうと。

でも、後から考えると、
それが私の行動を制限する癖に繋がっているんだなと気が付きました。

遊女の時も、妾になってからも自由に行動できるわけではない。
更に、自分が原因で他の誰かがひどく傷つけられ、
自分もひどく折檻される。

だから、自分の思った通りに行動してはいけない。
前世の出来事が、そう、魂に刻み込まれてしまったようです。

そんな風に、今世の思い癖だけではなく、
魂レベルの思い癖があったのだと気が付きました。


これはおそらく、カウンセリングしてもとりきれない行動癖かもしれないと思います。

前世のトラウマを克服するために起こったような出来事が今世にも起きます。
理屈だけで言えば今世でそのトラウマを「えいやっ!!」と乗り越えてしまえばいいのです。

でも、なかなかそれは難しいもの。
何故か、なおせない。変えられない。

そんな時は前世の魂の傷が関係しているかもしれません。

私達は前世でトラウマを受けると、その度に魂をちぎって置いてきていると考えています。
大きな魂の人ほど、前世ではそれなりに苦労の多い人生を送っているからです。
今世は魂が穴だらけの不完全な状態で生きなければならないので、
人生でダメージを受ける前の子ども時代からエネルギーが低下している方が多いです。


不完全な魂を元に戻すのに、何かいい方法はないだろうかと昨年から師匠と二人で話していました。

今回ソウル・ナビゲーションと言うヒーリング法を開発した理由の一つがそれなのです。

*~*~*~*~*~*

一見、この前世トラウマは、私たちに行動癖について教えてくれるために出てきたのかと思いました。

けれど、それだけではありませんでした。
もっと重要なことを教えてくれました。

梅紅さんが出てきた次の日、
私が以前から知っている前世と梅紅さんの話がつながりました。

ああ、だから、そうだったんだ、と。

人は人間として、魂として「学ぶために生まれてくる」と言われます。
それは確かにそうだと思います。

でも、それだけではないようです。

「人間としての学び」のほかに、
「魂としての計画と仕事」があると私たちは考えます。


次回は梅紅時代の話の続きとともに、
それについて書きます。

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異常なのは精神に異常をきたす人じゃなく、そこへ追い込む人の方だと思う件について 2

開店後、1年間クライアント様と接していて、
強く感じたことをタイトルにして書いた記事、
「異常なのは精神に異常をきたす人じゃなく、そこへ追い込む人の方だと思う件について 1」の続きです。

当店にいらっしゃる精神疾患を抱えた方はその方がおかしいのではなく、
周囲にその方を精神的に追い込む「異常な人々」がいると常々思っていました。
善良だからこそ自分を責めて精神疾患を患ってしまうのだと。

今回はそういう方々と縁を切るための対策や、
私がしたことを書いてみようと思います。

私は今、そういう「異常な方々」と縁が切れました。
・・・・多分

************

<対策として考えられること、実際に私がやったこと>

・まともにかかわらない

そういう人が「回心」していい人になるなんて絶対ありえません。
「さわらぬ神にたたりなし」です。
挨拶と聞かれたことに返事だけをして、
あとは自分からは近づかないことです。


・客観的第3者に話す

その人と利害関係のない人なら「その人の方がおかしい」ってわかるはずです。
悪口を言うためではなく、「自分はおかしくないのだ」と言うことを確認するために
第3者に話しましょう。


・「良い人じゃない人」に「いい人」として接する必要はないとはっきり認識する

良く自己啓発本には「自分が変われば相手も変わる」的なことが書かれています。
これはかなり誤解されやすい言葉だと思います。
自分が良い人になれば相手も良い人になるかのように思ったりします。

これは「結果をコントロールする」と言う間違った考え方です。
同じ自己啓発本に「結果を求めずできるだけのことをする」と書かれていたら、
「どっちやねん!」ってツッコみたくなります。

自分が心から「良い人になりたい」と思ってそうするならいいのですが、
相手に変わって欲しいと思って良い人になろうとするのは結果をコントロールしようとすることなのです。
結果は誰にもコントロールできません。
自分以外の人は変えられないのです。


そういう「他者を攻撃したりいじめたりして追い込む人」がいい人になることは絶対にないと考えたほうが良いです。
何故なら、その人はその状態でそこに存在する意義があり、役割があるからです。
劇で言えば「悪役」を魂レベルで引き受けてくれた人です。
(「菩薩行」と言う言葉を検索してみてください)
「嫌な人」「意地悪な人」「問題のある人」でいるのが正解なのです。
だから、良い人になる必要がないのです。

そういう人に対していい人として接する必要はありません。

もちろん相手に合わせて「嫌な人」になる必要もありません。
あなたが周囲の人から「嫌な人」と見られて損するだけです。

子どもみたいな人に、大人な態度で接しても、
相手は「成長しない大人」だから、子どもみたいな人になっているのです。
成長することを期待しても無理があります。

大人になってむちゃぶりを引き受ける必要はないし、
嫌なことはいやだって言っていいし、
おかしいことはおかしいって言っていいのです。

嫌いなら、嫌いって言ったっていいと思います。

「必要以上に近づかないで」とか、
「用もないのに話しかけないで」って言っていいのです。

それは、傷つけるために言うのではなく、
「自分の気持ちを伝える」だけなのです。


それを伝えた結果、相手がどうするかは相手が決めること。
自分の言った通りにして欲しいと思うのは「結果をコントロールする」ことです。
相手をどうこう言うより、「自分がどうしたいか?」をはっきりさせることの方が大事なのです。

実際にどういう行動をとるかどうかは個人の判断に任せます。
(ご自分の人生だから自分で選ぶのです)

ただ、少なくとも、相手を嫌だと思い、
嫌だという自分を責める必要はないということです。


・自分を知る、理解する、自分との付き合い方を見つける

発達障害、愛着障害、解離性障害、HSPなどの病気や障害、
また、自己卑下しがちな性格などに対策をたてる必要があります。

「それがどんな症状(病気)で、
何故そうなったのか?を知り、
自分はその状態をどうしたいのかをはっきりさせ、
自分とうまく付き合う方法を見つけ、
楽に生きられる方法を見つける」

それは決してご自分が悪いからということではなく、
そのままでは生きにくさを抱えていくことになるからです。
そうすることが「本来の自分を生きる」ことにつながるのです。

よく「ありのままで良いから」と言いますが、
それは自分との付き合い方を心得ている人の話です。

例えば発達障害のある方が生きるための工夫を身に着けないのは、
聾唖の方が手話を覚えないのと同じだし、
足の不自由な方が車いすに乗らないのと同じです。

自分が心地よく生きて行くための工夫を身に着ける必要があります。
それにはまず、自分を知らなければなりません。

相手が悪いのにどうして自分が変わらなければならないの?
って、思うかもしれません。
「・良い人じゃない人に・・・・」の項で書きましたが、
他者はコントロールできないし、
変えられるのは自分だけだからです。

・自分から逃げない

「自分を傷つける人」は仕事、学校、状況などが変わっても、
行く先々にあらわれます。

上記に「良い人じゃない人はそうある必要がある。
だから絶対変わらない」
と書きました。

何故そういう人が次々現れるかと言うと、
人は苦しい思いをしないと変わろうと思わないからです。


悪役は自分が自分の課題を乗り越え解決するきっかけを与えてくれる人なのです。

だから、逆に言えば、自分が自分の治すべきところを治し、
人として成長し、
その人本来の姿になれれば、
「悪役を引き受ける人」は必要なくなります。

とても苦しい状況なので、自分を守り、相手を攻撃し、
人生を呪ってしまうかもしれないけれど、
そういう弱い自分に負けていては自分を成長させられません。

辛くても、苦しくても、悲しくても、
他者を憎んだり、
自分はダメだと自己嫌悪に陥って自分を責めるのではなく、
自分も他人も責めずに、
自分を成長させることが大切なのです。


悪役が登場する必要のない人になればいいのです。


・自分を大切にし、愛する

自己卑下して自分を悪いと考えてしまいがちな方は、
自分を大切にしない傾向があります。

自分を大切にできない環境を無意識のうちに選んでしまします。
それは自分の気持ちや直感より、
理屈や、他の人々の都合を優先させてしまうからです。
「○○のために」とか、「○○しなければならない」と、
考えてしまいがちな方です。

自分を愛すると言うと、「ナルシスト」と言う方がいると思いますが、違います。

この世でただ一人の自分、
自分のたった一人の味方である自分自身を大切にするということです。

自分を大切にできるから、同じように他の誰かも大切にできるのです。
自分を大切にできるから、自分を大切にしてくれない人と、縁を切ることが出来るのです。


自分を大切にするということは、
自分が「楽しい」「嬉しい」「心地よい」「幸せ」と思うことを選んで行くことです。

これは自己卑下して、自分を責めている人には、
かな~~~~~り難しいことです。

「良いの?」って思っちゃうと思います

自己中心的なんじゃない?って思っちゃうでしょ?
でも、違うから!

自分を本当の意味で大切にするなら、自分の欠点を潔く認めて改善しようとします。
周囲の人を思いやって大切にしていこうと思えます。
「○○のために」とかいう理屈でするのではなくて、
自分が周囲の人を大切にしたいからそうするのです。
見返りなんて求めないのです。
そうすることが幸せだからそうするのです。


それには「自分は何が大切か?」とか、
「何をしている時が幸せか?」とかが判らないとできません。


たぶん、これ、一番難しいと思います。

これは一人で考えていると、
「ジコチュウなんじゃない?」とか
「やっぱり私はダメな人」とか
自分を責める深い穴に落ちていくので、
カウンセラーさんにかかることをお勧めします。

*:::*:::*:::*:::*:::*

私の場合は上記全てができるようになってから、
やっとそういう人が周囲からいなくなりました。


つまり、本当に悪役をひきくけてくれた人達だったんだと思います。
私が本当の私になるために。
(それは、今、私が暗闇を抜けたからそう思えるのであって、
暗闇にいる時は「そう思わなくちゃ」って思っても苦しかったです)

ちなみに私の最終課題は「あんた嫌い」「かかわらないで」とはっきり言えるようになることでした。
大人な態度も時には考え物だと知りました。
(言えないええかっこしいのヘタレだったのです)

まあ、それは丁寧に丁寧に根気よく思いやりを持ってやり取りを重ねた結果、
「これはダメだな」と思った時でしたけどね。
自分を成長させ、自分がより良い人・大人になれば・・・良いことなのだと思いました。
「この人は自分を成長させてくれる人」だと。

でも、この場合、成長するとは、
「嫌なことは嫌」とはっきり言うことなんだと学びました。

その前はただひたすら我慢するだけでした。


おかしいのはあなたじゃなく、周囲の人かもしれない。
善良だからこそ、精神疾患を患っているのかもしれない。

その事を今一度見直してみてください。



そういう人を精神的に追い詰める人って、
ご自分は精神疾患になんてならないんですよね。
自分は悪くないって思っているし、
人をいじめて発散しているから。

一度は精神的に追い詰められてしまったかもしれない。
でも、それは自分に必要なことだと受け止める時、
新しい、そして、本来の自分に出会うことが出来るのです。

今はそうできなくても、どうかこれを心に留めておいてください。

どんな理由があっても、傷つけられていいことにはならない。
あなたが病気になる必要はない。
相手と同じように「嫌な人」になる必要もない。

その辛い体験をうまく利用して、
どうか光の方へ向かって行ってください。

私も光を目指しています。
そうして後から来る人の光になりたいと思っています。

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