「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

スピリチュアルな散文 「同じ一つのもの」

(注:結婚していた当時に書いた文章です。2015.9.7)

どうも、引き続き現実逃避=充電中のわたもりです。

気力はないのですが、仕事をしているとアスペ脳の私は、
とりとめもなく色々と脳が勝手に考えてしまいます。
いつもは下調べをしたり、校正を考えたりしつつ書いているのですが、
今日は脳からだだもれで書きます。

わけわからないかも。


今読んでいる「レッドデータガール」2巻に
「牛飼いは神に通ず」と言う言葉が出てきて、
本当にそんな言葉があるのか調べる気力がないのですが、
それを読んだとき「ああ、なるほど。だから私はここへ来たのか」と思いました。

私の実家の曽祖父はとても霊力の強い神主さんで、
年に何度か東京へ拝みに行くだけで家族を養っていたそうです。
(ホントか?って感じですが)
ちなみに北海道へは「駆け落ち」で来たそうです
祖父も神主の資格を持っていたし、
時々「私も修行をしてそちらへ進めばよかったかも」なんて思ったりするのですが、
上記の言葉を読んで「牛飼いも修行のうち」なんて思いました。

搾乳をしていると時々思うことがあります。

私も牛も同じ一つのもの。
今はたまたま私が絞る側で、牛が絞られる側だけれど、
それが入れ替わっても何の不思議もない。

牛は体の大きい動物です。
力も強いです。
ちょっとした事故で大けがをしかねません。
私は臆病なのでけがをしたことはありませんが、
牛になれすぎている夫は蹴られた時に太ももの筋肉を切断してしまったり、
骨折したり、脚を踏まれたりしています。

飼い方によってはとてもおとなしく賢い動物ですが、
オス牛は猛獣と言ってよく、
メス牛でも暴れることもあります。

自然の生き物である牛を飼い、
その生を捻じ曲げているようでもありますが、
どうあっても、牛は自然の一部でありその力はとても強いです。
私たち人間は生き物の命を奪う側ですが、
ちょっとしたことで牛に命を奪われても不思議ではないのです。

私の生と牛の生が寄り添って、
同じ時間をすごし、離れ、また出会う。

けれど時が違えば私が牛で、牛が飼い主だったとしてもおかしくはない。
たまたま、今回は今の立場だったというだけのことなのだと思います。
牛でも人でも、その差はなく、同じ一つのものだったということが、
毎日牛と接していると自然にわかるのです。

「もとは同じ一つのもの」
と言うのはスピリチュアル系の本に良く書かれていて、
私も雑学的知識として知っていましたが、
知識ではなく、本当にそうなのだと実感できるようになりました。

牛だけではなく、
他の生き物や植物、龍神様やその他の神様仏様まで、
すべてが同じ一つのもので、
繋がっていて、同時にここに存在していると感じます。

過去の時間も未来の時間もそこには区別がなく、
「今」と同時に存在しています。

それは実際に体験してみて感じることなので、
言葉だけで理解してもらうのはむずかしいかも。

そんなことを考えていると、
「でも食べられるのは嫌だな~」なんて思っちゃいます。
(結構クマに食べられるとかたまにあります)

それは人間のエゴでしょう?なんて思うかもしれませんが、
私はそれこそがエゴだと思う。

食べる側も食べられる側も実は何の差もないのだもの。
だってもとは同じ一つのものだから。
今回はそういう立場だっただけ。
だからその生を全うするだけ。

「善悪」とか「正否」とか、
そこに生じる感情とかは関係ない。

罪深いんじゃない。
ただたまたまそうだっただけ。
次は私がそちら側にまわるだけ。

その時々の立場で、
「自分は何を選ぶか?」を考え、選ぶだけ。

罪があるとしたらこの生を全うしないこと。
精一杯生きないこと。

だから私は生きる。
肉を食べ、花を手折り、
アリを踏み潰し、蚊をたたき殺し、
そのことでこころを痛め、
悲しみ、自分を責めても、
今回のこの立場にいる「私」を生きる。

ブッダは「同じ一つのものだから食べてはいけない」と言ったらしいけれど、
私は食べます。
だってその命が一生懸命育ててくれた肉=身体だから。

その肉をこの心と体の一部にして生きていくのです。


・・・・なんて搾乳しながら取り留めもなくそんなことを考えると、
山にこもったり、滝に打たれたりする人も、
こういうことを考えるんだろうか?それとも
何も考えなくなるんだろうか?と思ったりします。

まあ、ぎりぎりまで体を酷使する点では似ているかな。


いや~、ホントにわけわかりませんね。
ごめんなさい

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追記(近況報告)

先日、農業普及所の勉強会サークルの活動でメンバーの一人の牧場へ見学へ行きました。

そこは共進会(牛のコンテスト)でも優秀な成績を収める牧場さんで、
従業員が10名と言うのをのぞいてもとてもきれいにしていて、
丁寧にお仕事をされているのが良くわかりました。

時々「人間の勝手な基準で牛に点数をつけるなんて」と言う人がいますが、
それは違います。
比べるのは「牛」ではなくて「牛を飼う技術」です。

牛は飼い方ひとつで全く違う牛になります。

生まれた時の状況、生まれ出た場所、最初に口に入れたもの、
哺乳、離乳、餌の与え方、暑さ寒さ、その他様々なことで、
出す乳量も健康状態も違ってきます。
もっと言えば種付けをする前の母牛の状態でも違ってきます。
更にその母牛の状態・・・と、
いかに丁寧に誠実に時間を積み重ねたかが牛の状態にあらわれるのです。

そこまでは普通の酪農家でもやっていることで、
共進会に出るとなるとさらにきめ細やかな世話が必要になります。
24時間体制と言っても過言ではありません。

出来上がった牛をみるとその飼い主の性格や人生観まで見えるようです。
それくらい酪農は専門的知識を必要とする高度な技術職なのです。

一時期は私も面白くて勉強していたのですが、
ちょっと頑張りすぎては倒れてしまったりを繰り返して、
「私の体質・健康状態では無理」とあきらめました。

今はお気楽な牛屋のおっかちゃんですが、
時々こうやって他の牛屋さんをみると刺激されちゃいます。

別に酪農やりたかったわけでもないし、
動物好きだったわけでもないのですが。
(でも、HSPの私にはぴったりな職業だと思います)

その牧場さんに子ヤギがいて
もうかわいくって
今は山羊を飼いたくてしょうがないです。
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この記事のコメント:

「牛は育て方ひとつで、全く違う牛に育ちます」
この一文が特に印象的でした。

牛がそうであるなら、人間ももちろん、そうなんでしょうね。
子育て真っ只中の私、今も響く言葉の余韻に打ちのめされ、かつ、ひたっております。
2013-07-25 Thu 00:41 | URL | cocue-cocue #-[ 内容変更] | top↑
cocue-cocue 様

コメントありがとうございます。

> 「牛は育て方ひとつで、全く違う牛に育ちます」
> この一文が特に印象的でした。
> 牛がそうであるなら、人間ももちろん、そうなんでしょうね。
> 子育て真っ只中の私、今も響く言葉の余韻に打ちのめされ、かつ、ひたっております。
そうですよね~。
私もどんなに立派なことを言っていても、
育った子どもで親の真価がわかると思ってはいるのですが・・・・i-202
長男大学4年 長女高校3年 2人とも来年春就職予定。
わが子をみると・・・・、はあ~~~・・・。
ため息が出る今日この頃ですi-182

人より牛の方が育てやすいです(笑)
2013-07-26 Fri 11:08 | URL | わたもり #-[ 内容変更] | top↑
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