ある池の神様の話
そのあたり一帯は観光地としても有名です。
そこへ至るまで観光客をのせたバスに何度も会いました。
その池は本来なら地元の人しか知らないようなひっそりとした池でしたが、
TVなどで紹介されたことから有名になってしまいました。
とはいえ、そこへ至る道は砂利道で狭く、駐車場も整備されてはいましたが、
土が均された程度でした。
私と師匠がTerraからその池を見た時、
その池の神様が男性で、ずいぶんと弱っていることがわかりました。
(私も師匠も同じものが見えました)
「穢れ」のせいでしょうか、姿かたちは「きたないおっさん」になってしまっています。
ある方に同行を約束はしましたが、
もう私たちが行っても何もしてあげられない状態にまでなっていることがわかり、
行くのが心苦しいと思っていました。
**********
到着すると山深い場所にも関わらず、
数台の車がとまり観光客がある程度の人数いました。
確かに美しい池なので写真をとっている人も多かったです。
私は過去に1~2度行ったことがありますが、
もう、その時とはずいぶんと違いました。
「清浄さ」が失われています。
まるで死に向かうばかりの重病人を見ているようで、
心が痛みます。
池の神様は私と師匠にすぐに気が付き話しかけてきます。
「お前たちは誰だ」
師匠は池を眺めながらも足を止めず、
真直ぐにそのわきにある小川にむかいます。
その小川はその池に湧き出ている水と同じものが流れています。
その小川は清浄さを保っています。
「こんなに近いのにどうしてですか?」
と、師匠に尋ねると、
「ここの神様は違う人だから」という答え。
私はその小川の神様の「気」を探ります。
すると、その上流、森の奥深くにいらっしゃるのがわかります。
(・・・・女性?)
と、心の中で思っていると、師匠がうなずき、
「かわいらしい娘さんや」
とおっしゃいます。
「恥ずかしがり屋なのと、あの池には近づけんのとで、
こっちには来れないみたいやな」
私は小川の神様にご挨拶して石を浄化させてもらうために水に沈めました。
浄化する間小川の神様に話しかけると、ためらいがちに時折返事をしてくださいます。
ですが、いつもそうなのですが、神様とどんな話をしたか覚えていません。
小川だけではなく、そのあたり一帯の森は何人もの女性性の神様が守っているようです。
同行した方の用事も終わったようなので、石を水から引き揚げ、
池の方へ戻りました。
*::*::*::*::*
師匠は火の力を持つ方なので「穢れ」をお炊きあげのように焼き払うこともできますが、
もうその池はどうしようもない状態でした。
エネルギーの強い清浄な水が湧き出てはいますが、
そこを訪れる人間の「気」によって穢れてしまっているのです。
最近は「パワースポット」が流行のようで、
そこもその力を求める人が多く訪れていました。
「求める」とはつまり「欲」。
「エゴ」です。
以前このブログに「スピリチャルなことは普通ですよ」と書きましたが、
現代の人は「特別視」してはいても、
「畏れ敬う気持ち」は持ち合わせていないようです。
神社でさえも何かをもらうための場所と思っている人が多いようです。
昔の日本人はわからなくても自然のあらゆるものに畏れを感じ、
そばに寄らせてもらうことに感謝の気持ちをささげていました。
その気持ちが神様のエネルギーとなり、力を得た神様は人々を守り、
守られた人々は、また感謝をささげ・・・・と、そういうエネルギーの流れがありましたが、
今ではそれが途絶え、神様は奪われるばかりです。
また、祈りをささげる人がいたとしても、
現代人は食品添加物や西洋医学薬など「人工的な毒」により波動が乱されています。
人工的な毒は人間にしか取り除くことができません。
例えば洗剤を飲んだらどうなるか想像できますよね?
神様たちはそういう状態にさらされているのです。
本来なら人間の体に備わっているはずの「解毒」の力も「食」の影響で弱っています。
悪気がなくてもその波動で祈りを送ると神様たちは苦しいようです。
その池がそんなに弱ってしまったのもそんな理由からのようです。
その池の神様は今は眠っていらっしゃいます。
それでこれからの観光シーズンを少しは乗り切れるかもしれません。

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