「私の中の森」

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観自在―苦しみから離れる

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小倉遊亀作「観自在」の絵葉書
ずっと飾ってあったのでかなり色あせています。
本当は蓮の花は赤く色鮮やかです。

**************

15年ほど前から持っている絵葉書が、
引っ越しの途中でなくなってしまいあきらめていたのですが、
先日古新聞の間から出てきました。

この観音様=観世音菩薩は身に着けているものもとても質素で、
手には蓮のつぼみを持ち、台座からふわりと浮きあがっています。
表情は穏やかでありながら、楽しげで、茶目っ気さえ感じられます。


この絵をはじめてみたのは15年ほど前の釧路。
当時100歳を超えた女流画家の名をそこで初めて知りました。

私の実家は神主の家系なので仏教にはなじみがなく、
仏様もどれがどれやら区別がつきません。

それなのにこの絵にはとてもひかれ、絵葉書を購入し、ずっと飾ってありました。

「この絵のようになりたい」

そうは思っても、当時の私には
具体的にどこがどうと言うのは判りませんでした。

それくらい、自分を見ることも出来ず、自分に何が足りなくて、何ができるのかもさっぱり。
つまり、全く自分がわかっていないから壁にぶつかることも多く、
その苦しみの理由さえわかりませんでした



この観音様のように何物にもとらわれることなくすがすがしく自由でありたい

もし当時の気持ちを言葉にするならそんな感じかもしれません。

今回、この記事を書くに当たり、この絵や作者について調べたら、
作者はこの絵についてこうかたっているそうです。

『かわいらしい観音様であるが、かわいらしいというよりも
ひたむきに前進する若い人の姿と思ってもよいような一種の匂いもある』


台座から足を離したのは
「修業を終えられた自在な境地だから」とのこと。

確かに決まった形にとらわれ、
何もかもをわかったつもりで穏やかにしておられる仏像は、
まだ本当には修行を終えていないのかもしれません。

以前「紫の上と自由」と言う記事を書いたのですが、
その時もこの絵を眺めながら書きました。
今回またその記事に書かれた自分の言葉を読み、
「良いこと書くなあ、私」(笑)

最後の方に書かれた「この記事は何度も読み返すかもしれません」と言う文章はその通りで、
その最後の2行の言葉に励まされました。

*~*~*~*~*~*~*~*

実はつい最近、私が一番触れてほしくないトラウマに触れる、
とてもつらい出来事がありました。
HP「私の中の森」→「私の中の森」→「暗闇」「森の奥」参照)

その当時を思い出し、一瞬ですが、私はバランスを失いかけました。

その暗闇の深さも、冷たさも、苦しさも知っているから、
またそこへ戻るのかもしれないと思うと、
怖くて怖くて家の中に1人でいられないほどでした。

この出来事には数人の方がかかわっています。
客観的に見て、私は怒ったり、泣いたりして当然の立場でした。

以前の私ならプライドや理屈を優先してこねまわし、
ことをさらに複雑にしていたように思います。

けれど今回はとにかく自分の心に問いかけました。

自分はどう思っているの?
どうしたいの?


だから、素直に怒り、泣きました。
そして、それにかかわった人たちにも素直な自分の気持ちをぶつけました。
それを格好悪いという人もいるかもしれませんが、
私には自分が見えず、口先だけの立派な言葉を並べることの方がみっともなく思えたのです。

そうして自分が怖くて仕方がないことも正直に告白し、
弱さもさらけ出しました。

その結果、それにかかわったある人は、私とともに成長することを選んでくれました。

苦しみから離れるとは、
理屈や理想を言葉で並べ立て、
自分の心を見ずに押さえつけ、
一見立派なように行動することではない


と、私は知りました。

余計なもの=飾りたてるものを手放し、
本当に大事なもの=蓮の花のつぼみだけを手にし、
理屈や理想などのきれいなだけのもの=台座から離れる。


この絵の観音さんのように。

そうした時、私を苦しめた人は昔の私と同じように、
今は全く自分が見えていないだけなのだと思いました。
だから苦しい。
苦しいから他者を苦しめようとする。
自分の苦しみを知ってほしくて。

私にはその方をどうしてあげることもできないけれど、
(本人が望まない限り)
どうか自分の姿に気がついて、苦しみから離れ、
幸せになってほしいと願わずにはいられませんでした。


もちろん、今の私がこの観音さんのようになれているとは思いません。
けれど作者の
「ひたむきに前進する若い人の姿」
と言う言葉を目にした時、ふっと肩の力が抜けたように思いました。

*=*=*=*=*=*=*

今日は私の45歳の誕生日です。

それに合わせたかのように上記の出来事が起こり、
この絵ハガキが出てきて、

ああ、この苦しみは誕生日プレゼントだったんだな

と、思いました。

その苦しみが起こる前より、
幸せで、静かで、穏やかで、少しだけ自由な自分がいるからです。


この出来事にかかわってくれた人、
特に悪役を引き受けてくれた人に感謝せずにはいられません。



私は心理学や医学などの知識や、
きれいで立派な言葉や
ましてやスピリチュアルな力を持って何かをするものではありません。

その苦しみを知り、ともに歩む者

まるで水の浄化のように、
「すべてを受け入れ、受けた穢れとともに、自らも浄化する」

これからもご縁のあった方とともに、ゆっくりでもいいから
確実に進んでいきたいと思います。

光りを目指して。


誕生日のこの日に、どうしてもこれを記しておきたかったのです。
お読みいただきありがとうございました。

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