「私の中の森」

北海道十勝帯広市で「心 からだ 健康相談」をやっている「メンタルコンサルティングTerra」の公式ブログです

スピリチュアルな一言

ここの所、夢解析でも、カードリーディングでも、

「休息をとりなさい」
「瞑想してエネルギーを蓄えなさい」
「一歩ひいて状況をみなさい」

と、言われています。

一ヶ月以上放っておいたら、
そうせざるを得ないような出来事が起こったり、
この仕事を始めてからはなくなっていたような体調不良に見舞われました。

あちらの世界からのメッセージは、
言葉やビジョンだけではなく、
出来事や体の症状としても伝えられます。


普段仕事では「自分と向かい合ってください」などと言っているのに、
自分ではそこから逃げていたと思います。

それで先日からレイキのエネルギー訓練を兼ね、
瞑想を始めました。

今日はその中で心に浮かんだ言葉を書きます。

これが最終結論と言うことではなく、
覚書のようなものになってしまうと思います。
私の思考をそのまま書くような取り留めのない文章でごめんなさい。

(最近は瞑想をしてもあちらからの言葉が伝えられることは少なくなりました。
それはあちらの世界とつながらなくても言葉もビジョンも受け取れるようになったからかと思っています)

********

生きるとは、すべてを受け入れる勇気と覚悟を持つこと


呼吸は自然としているものです。

吸うだけの人もいないし、
吐くだけの人もいません。

吸うことばかりを望んでもかないません。

つまり、結果を求めても、何かをコントロールしようとして願っても、
起きてくることを避ける事はできないのではないでしょうか?



私は過去にとても大きな心の傷を負い、トラウマとなっています。

先日そのトラウマを刺激するような出来事が起こり、
PTSDの発作を起こすようになりました。

私はその最近起きた出来事、と言うよりは、
それが思い出させる過去の出来事と向かい合わなければならないようです。

「もう二度とあんな暗闇には行きたくない」
「同じ思いはしたくない」
「私は暗闇が怖い。嫌だ」

過去の出来事と向かい合うということは、
そういう自分自身と向かい合うこと。

その痛みを再び味わい、考えること。


それについてはもう十分考えてきたつもりでした。

けれど、長い時間を経て、様々な体験をし、状況が変わり、
少しだけ成長した今の自分でその出来事と向かい会う時が来たのだと思います。

だから、それを思い起こさせるような出来事が起こったのでしょう。

つまりは全て起こるべくして起こっている。

*~*~*~*~*~*

私は日ごろ、クライアント様には
「全て起こることには意味がある」
と、言っています。

出来事には良いも悪いもない。
良し悪しに分ける「裁く心」を手放すと楽になると。

けれど、それはとても難しいことです。
だからこそ、世界中の賢者が一生をかけて学ぶのです。

私もまた、ここで学ぶときが来ました。

「傷つきたくない」

そういう結果を望んでも、
そうならないように努力しても、
結果は自分では選べません。

そうなる時はそうなります。

そして、その時感じる感情にも良いも悪いもありません。

喜怒哀楽、全て「自然」に起こってくるものです。

だから、理屈で取り繕い、感じたままを否定することはないのです。

怒り、悲しみ、憎しみ、嫉妬、怨み、蔑み

それがどんなに目を背けたくなるようなものでも、感じて当たり前。

それは一時的に自分の心を揺らします。
風が枝を揺らすように。

枝が折れる時は折れるし、
葉が飛ばされる時は飛ばされるように、
それによって何かを失うかもしれません。

それを怖がって、嫌がるということは、
吹く風を無理やり止めようとするようなものではないでしょうか?


起こる結果をコントロールしようとすることでは?

あの時の私は、すべてがうまくいくようにと、
「自分が幸せになる結果」にしようと、
コントロールしようとしていました。

けれどそれがかなわず、深く傷つきました。
傷つけた人を憎み、
今までもずっと、同じ状況になることを恐れてきました。

それからずっとそうならないようにと願い続けていました。
それは再び結果をコントロールしようとすることではなかったでしょうか。

けれど、すべては起こるべくして起こるのかもしれません。
良い結果だけ望むのは「とても不自然なこと」

だから、今、私に起こっていることは、
過去の出来事も醜い感情を持った自分も
「自然なこと」だと受け止め、
私を傷つけた人達も、私自身も、起こった出来事も
すべて受け入れるために起こったのではないでしょうか?

「許す」とは「起きたことは全て吹く風と同じだ」と知ることなのではないでしょうか?
良いも悪いもなく、自然なことだと。

*:::*:::*:::*:::*:::*

これから先も、同じように、
いや、もっとひどく私を傷つけることが起こるかもしれません。

けれど、それを、「怖い」「嫌だ」と逃げることではなく、
自分の望む結果ではなくても
「起こることは全て自然なこと」だと受け入れること。


全てを「自然なこと」と受け入れる勇気と覚悟を持つこと。
それが生きて行くことではないだろうか?


結果を望まないからこそ、
純粋に自分の心を寄せることが出来る。
感じるまま、思うまま、生きることが出来る。
それは、「自由」と言うことでしょうか?

*--*--*--*--*

これは私の頭が考えていることだろうか?
心が感じていることだろうか?
魂から湧き出ることだろうか?

そういう言葉はきっと、様々な人が今まで口にしてきたし、
たくさんの書物に書かれているでしょう。
私の身近な人も知っていると思います。

でも、それだけではダメなのです。

頭で考え、理屈で理解するのではなく、
「自然と」そうできなければ。

私の血となり肉とならなければ。

そうして、風に吹かれて、この地の上に立たなければ。

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